演歌をyou tube で聞く(見るかな)何が好き?
ただ、好きなのと、思い出が貼り付いていて好きなのがある。
今書いている本の資料となっているので、自分のブログを読み直しチェックしている。ダイビング技術とは別に目に留まるのがある。若干リライトして採録する。
以下、2010年 07月 30日 のブログです。
カメラマン、倉沢栄一君が亡くなったと聞いた。水中科学協会の理事会をやって、その別れ際にビデオカメラマンの中川隆から聞いた。
最近、倉沢君twitterをやっていて、僕もフォローしていた。
2010年
4月22日
「今日は、根室海峡で5頭の群れのシャチと出会いました。やっぱり、シャチの存在は特別です。」
4月24日
「9時から観光船に乗船。昨日のリベンジなるか。」
「今日もまた、国後島側にシャチの群れが。たくさんいるのに残念。明日こそ、こっち側にきてくれないかな。」
5月12日
「昨日、友が亡くなった。自死。朝から冷たい雨が降っている。」
5月13日
「今、襟裳岬。窓の外から聞こえてくる波の音が心地よい。」
5月28日
「明日、厚岸の大黒島にいく。ゼニガタアザラシの水中映像を撮影する予定。透明度が良ければよいのだけれど。」
そして、最後のtwitterは、
7月18日
「知床・羅臼は、今雨が降っています。」
ネットで襟裳を出して、「風の館」をクリックした。
「風の館上映映画を撮影した自然写真家の倉沢栄一さんが7月21日に急逝されました。」と出てきた。
自死だった。。
倉沢君に初めて会ったのは、知床、ウトロで、流氷の撮影をしたときだった。港の脇の堤防の根元近くに、深い雪に埋もれるように小さいテントが張ってあり、その中に、若いカメラマンが二人、倉沢君と、田口茂男君がいた。二人は大学(日大)の同級生で、僕のアシスタントの米田が、二人の一期上で、声をかけあって、話がはじまった。
民宿に泊まる金がないから、二人でテントに寝ている。すべてを写真にかけて、フィルムを撮り貯めてストックして行く修行時代の二人だった。
田口君とは、その後、アラスカで羆の水中撮影をしているときに出会った。彼が浅瀬に入ってレッドサーモンを撮っていると、羆も浅瀬に入って来た。その距離3m、羆の忍者級のジャンプ力ならば、一瞬で倒される。僕は、彼が羆にやられるところを頭に描いて、カメラをかまえた。田口君もニコノスを前に出して身構えた。その時は何事もなく樋熊は立ち去り、僕の撮った彼の写真は、彼の雑誌記事、確か小学生向けの雑誌だったが、そのグラビアを飾った。その後田口君は長良川のサツキマスを追って、郡上八幡に住んで「サツキマスのいた川」という写真集をだした。僕も岐阜の吉村朝之といっしょにサツキマスを撮っていたので、何度か河原で一緒に撮影した。その後、子供向けのサツキマスの写真集を送ってきてくれたが、その後何の便りもない。
倉沢君は羅臼に住んで、道東、知床をフィールドにして撮影を続けていた。ニュースステーションで、羅臼に行ったとき、羅臼第一ホテルで出会った。第一ホテルに勤めている人と一緒に、ホテルの宿舎で同棲していて、その部屋で、二人で飲んだ。一夜を飲み明かした。僕がまだお酒を飲んでいた頃のことだ。相変わらず貧乏生活だった。僕が何とかしてあげようと、その後東京の事務所に来てもらった。一緒に北の海のプロジェクトをやろうと、決めたのだが、その後、話は進展しなかった。
そして、次もウトロに、やはり流氷の撮影に行った時、彼は流氷ダイビングのガイドでお客を何人か連れてきていた。少し、金回りが良くなったみたいで、こちらも忙しかったので挨拶だけで別れた。
そして、アザラシを撮った彼の写真がブレィクした。写真集が出て、本屋で横積みになっていた。これで彼の苦労も報われたと喜んだ。
ニュースステーションの番組で、アザラシを目当てに襟裳にいった。(1987年の春)風が強くて、とても船を出してアザラシのいる岬には行かれない。襟裳は風が強い岬だ。だから「風の館」という観光施設がある。倉沢とは、その「風の館」で会いたいと連絡したが、あいにく留守で会えなかった。
僕たちのニュースステーションの旅は、風がやむのを待つのも、せいぜい一日ぐらいだ。風がやまないから、磯に降りた。タイドプールがある。水深1mぐらい。潮美を潜らせて、半水面を撮った。磯を立松さんが歩く。「本当に何もないね。でも気持ちの良い風だね。」強い風だけれど、少しだけ、春の匂いがした。タイドプールは透明で、風のように透き通っていた。
オンエアーのバックには「襟裳の春」。ニュースステーションの旅は演歌の旅でもあったのだ。
北の街ではもう 悲しみを暖炉で燃やしはじめてるらしい
理由(わけ)のわからないことで 悩んでいるうちに
老いぼれてしまうから 黙りとおした歳月(としつき)を
拾い集めて 暖め合おう
襟裳の春は 何もない春です。
倉沢君と、第一ホテルで飲み明かした思い出が消えない。何を話したか全く覚えていない。酒を飲まなくなった僕が、本当に数少ない良い酒を飲んだ。
http://www.yomiuri.co.jp/photogp/grandprix/etc/s20071011_01.htm
倉沢君の記事です。
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2024年、倉沢の本が書棚にない、アマゾンに注文した。2001年発行「日本の海百科」ここでは、その写真を貼り付けた。