無事、6日に2回目のコロナワクチン接種を終えた。なにか、こんな風に書くと、昔、子育てで、無事麻疹を終えましたと言ったことを思い出す。僕の麻疹は無事ではなかったのだ。まだ学校に上がる前だから5歳かな。重くて、高熱で意識が無くなり危なかった。麻疹の免疫がある大人で血液型が合う、その後母親の弟と結婚して義理のおばさんになる、当時優しいお姉さん、女中さん、今で言うお手伝いさんから輸血を受けて、命を取りとめた。
その後、よく言われた、「次郎ちゃんには、私の血が入っているんだから」
ワクチンは、オリンピックには間に合わずオリンピックは無観客で行われる。もともと、オリンピックを日本でやるのは冒険なのだ。地震の国、直下型地震がそろそろ東京を襲う。都民には直下型が来たときの対処のパンフレットが配られている。そこに巨大なレガシーを建築して、世界からインバウンドを迎える。想定外とは言えない。
多分、大丈夫。オリンピックは無観客で立派に行われ、歴史に刻まれるだろう。
話を無難な読書に振って、昨日、「ほの暗い永久から出でて:上橋菜穂子 津田篤太郎 文春文庫」を買い、読み始めた。薄い文庫本だがまだ三分の一も
読んでいない。上橋菜穂子は、その著作のほとんど全部を読んでいる。文化人類学者で、「精霊の守人」など冒険小説をたくさん書いている。テレビ化もされていて、主役のパルサは、綾瀬はるか。綾瀬はるかは、嫌いではないけれど、小説のイメージとはちょっとちがう。では、だれが主役?と言われると、パルサは自分の中にイメージができてしまっているので、誰でも、無理だ。
文化人類学者の修士だったか時代、アポリジニの家に滞在していて、そのことを書いたエッセイもあり、それも好きだ。だいたい、僕はアポリジニが好きだ。と言って、書かれたものからのイメージだけで会ったこともないのだが、チャトウィンのソングラインも好きだし、数日前、シドニーオリンピックでのキャシー・フリーマンの激走の感動も書いた。
さて、この 「ほの暗い永久から出でて」津田篤太郎は、燎原病のお医者さんで、上橋菜穂子との往復書簡の形をとっている。副題「生と死を巡る対話」で、深刻な話題をさらりと書いている。まだ三分の一だけど。
上橋菜穂子の書いた部分。
「生物の身体のシステムは、驚くべき精密さで命を支えながら、その一方でまた、驚くべき精密さで、個体の命を終えるようにしている。
閉経し、次世代を残すという仕事を終えた「身体」が死に向かって着実に自分の身体を衰えさせていく作業に入るとすれば、自分を生み出し生かしている物と、自分をやがて消し去るものは同じものであり、生きることと死ぬことは、ごく当然のことながら、不可分であるのに、私たち人間には、その不可分であることを、ごく当然として、悩むことなく受け入れられるような心のシステムが備わっていなのは、なぜなのだろう?と、今も考え続けています。」
一転して、
お茶の水に処方箋をもらいに行くのですが、一番、待たないで済む時間帯は?考えた結果、11時に、午前中を申し込めば、午前中に終わるだろう。考えが当たって午前中に処方箋をもらうことができ、いつもは、処方箋薬局に処方箋を入れてから丸善に行くのに、ここも空いていたので、薬をもらってから丸善に、今日は本を買うつもりはない。
ダイビングの歴史執筆を始めたし、書くこと多数、それに上橋菜穂子の本も丁寧に読みたい。
しかし、買ってしまった。
「下川裕治:裏国境突破 東南アジア一周大作戦」
引用するようなこともないので、気楽に読める。
隣の文房具へ、文房具屋さんというものが、壊滅して100円ショップになった。門前仲町にも、良い文房具屋さんが、二軒あったのに、なくなってしまった。この世で文房具屋さんが丸善だけになったら、文房具を作るメーカーは、どうしているのだろうか?
と、いらない心配をしながら、何か買おうにも、なにも買う物はない。100円で間に合っているのです。
シールを見て、夏のシールを買おう。イルカのシール、178円。
お昼を食べよう。
吉野家も、博多ラーメンも気分が乗らず、戻ってきて、このごろよく食べているKFCへ、昼時で満員、並んでいる。マクドナルドにまわって、テリヤキバーガー、なにか寂しい気持ちになる。マクドナルドはさびしい。
今日、最後の仕事、銀行で源泉税を、自動納付装置で納める。
★付箋文★