お正月も4日になった。コロナ禍、と言っているが、世界がこの禍に覆い尽くされている。パンデミックだ。日本では、僕は東京にいるから東京を指針として見ているけれど、暮れの31日には1330人が感染していると発表された。早晩1000の大台に乗るとは思っていたが、予想よりも早くなった。
東京都では小池知事が、もはや打つ手はないと国に緊急事態宣言を出すように要請した。
政府もこれを受けて、緊急事態宣言を出す構えだとのこと。これで仕事始めはなくなり、自粛、休日がエンドレスに続くのか。
私見だが、緊急事態宣言を出しても、よくて現状維持だろうが、しかし、緊急事態宣言を出して、経済、仕事の実働を止めなければ、まだまだ陽性者は増え続けるだろう。しかし、経済を止めてしまえば、再起不能になり、事実上の死を迎える人もふえる。経済を何時まで止めておけるか。
一週間、とか10日、一ヶ月で、コロナを止めることができるのだろうか。無制限、コロナが去るまで、集団免疫が獲得されるまで、止めておくことはできない。どこで、どこまで緩めるかの難しい選択になる。
緊急事態宣言よりも、経済を回しつつ、現状維持で医療の崩壊を防ぎ、集団免疫を獲得する。具体的な努力が必要だ。個人的には、コロナに罹患せずに、活動を続けなければならない。
集団免疫が獲得されるまで、末期高齢者の自分は、ダイビング活動を続けながら生き延びることができるのだろうか。
※ 写真はカットですが、1980年代後半のバブルヘルメットテスト中(スクーバです)
「ダイビングの歴史」と言うタイトルで、出版する本の下書きのつもりで、ブログを書いてきたが、これで三度目の仕切り直しになる。もうこれが、タイムリミットだろう。
今年の年賀状に、今年と来年、2年で「ダイビングの歴史」と「リサーチ・ダイビング」を出すと書いた。目標を設定しなければ、人は生きて行かれない。特に、高齢でコロナパンデミックの中では。
正月から、原稿を書き始めている。.
「ダイビングの歴史」を書く、刊行する、と2016年に発表した。しかしそのコンセプトが固まらなかった。
自分は歴史のファン、歴史書を読むのは好きだし、自分の基本教養は歴史だと思っているが、歴史の研究者ではない。
自分が本を書くときの姿勢なのだが、共著が多い。自分史といえるニッポン潜水グラフィティも、娘の潮美と共著のようなものだ。
共著の良いところは、知恵を重ねられる。あたらしい知見を加えることができる。そして、共著者とは、ほぼ親類になれる。
ダイビングの歴史も、山田稔さんと共著にしようと思った。そして、さらに範囲を広げて、これを機会に「日本ダイビング歴史研究会」を発足させて、その研究会の編著にしようかとも考えを巡らせた。
文書のやりとりは、ずいぶんしたが、具体化できなかった。
※最近山田さんの音信がない。お身体が悪いことは聞いている。
自分の書こうとしているダイビング史は、客観的な史実と、個人の視点からの記録、そして、それらについての自分の考え、分析が重なり合ったものである。
自分個人の視点からの記録は、自分でなければ書けないことであり、次の世代の人がダイビングの歴史について研究するその資料としてでも、書いて置かなくてはならない。
ここからが、出版する本の「はじめに」になる。
「はじめに」
この本は、三つのパートに分かれている。
一つは年表であり、これは、出来るかぎり、客観的に正確にしたい。出典はその場に併記する。出典が併記されていない部分は、自分自身に関わってきたこと以外は、参考である。
その二は、縄文時代から、泳いで、潜って、人間が海で川で、湖水で潜水して活動してきた事績、その進化を、いくつかのブロックに分けて、記述したい。
そして、その三は、1953年、日本に現今に繋がっているスクーバダイビングが紹介され、はじまった年から、今までの事績を自分の視点から書く。
そして、さらにもう一つ、自分の専門であったリサーチ・ダイビングの今後の展開へと続けたいのだが、これは、別の「リサーチ・ダイビング」という本に繋がる。これは、自分の事績の歴史でもあるから、その三になる。。
その「リサーチ・ダイビング」は、日本水中科学協会の編著にしたい。
これまで、リサーチ・ダイビングも原稿を書いていたが、リサーチ・ダイビングの歴史風になってしまっている。これをダイビングの歴史のほうに移すことになる。二つの本は繋がっている。