今日の夜から式根島に行き、明日潜水して明後日もどってくる。
久しぶりに海で潜れる。
このところ、ブログを大上段に構えすぎていて、何かを書こう。まとまったことを書こうとしていると途中で挫折してしまったり、資料集めが大変で、月刊ダイバーの原稿と重なったりして、はかどらない。
1994年のノートを見てみた。結構ノートを書いてある。僕の場合、ほぼ5年周期ぐらいで、日記を書いたり、ぱたりと止まって、しばらくしてノートを書いたり、している、ずっと通して書いていればなにかに?また、ノートを使っているが今度は殴り書きの下書きで、後でも手もわかりそうにない。
そうか、そのかわりに、日記の代わり、ノートの代わりにブログを書いている。これは結構続いているし、おそらく死ぬまで続くだろう。
これで良いのだ、と思ったら、日記の代わりならば、それほど大上段に振りかぶらなくてもいい。もちろん振りかぶるときもあるだろうが、毎日振りかぶっているものだから疲れてしまっている。
書きすぎているきらいもないではない。読んでいただいている人も疲れるだろう。
今、月刊ダイバーの原稿が暗礁に乗り上げている。編集の潮美が良くやってくれていて、親孝行のつもりだろうが、今回は要求が厳しい。3月号で終わりだからあと3回、まとめなければいけない。第一項は、順序がNGで第二稿は圧縮しすぎたらしくで何が何だかわからない。もう、圧縮しないで丁寧に書くだけ書いて、下駄を預けてしまおう。
そこで年表を出して見た。
お世話になっている月刊ダイバーの創刊が1980年だった。
自分用の覚書のようなものだから間違いもあるだろう。
この年表の1980年の釜石湾口防潮堤の工事から、龍泉洞、沼沢沼発電所トンネル調査までの間を
スガ・マリンメカニックで、僕とチームを作った何人か、スガ・マリンサーカスと自称していたチームのメンバーを紹介しながら、書きたい。45歳から48歳、ダイバーとしての最盛期のところだ。
年表をもう少しきちんとして、年表の部分をとりあげてブログにするのもいいかなとおもっている。
この年表をフェイスブックにだしたら、自分のその時代と重ね合わせて、懐かしいと思ってくれる人もいたことだろう。
今日の夜竹芝から船に乗ります。
久しぶりに海で潜れる。
このところ、ブログを大上段に構えすぎていて、何かを書こう。まとまったことを書こうとしていると途中で挫折してしまったり、資料集めが大変で、月刊ダイバーの原稿と重なったりして、はかどらない。
1994年のノートを見てみた。結構ノートを書いてある。僕の場合、ほぼ5年周期ぐらいで、日記を書いたり、ぱたりと止まって、しばらくしてノートを書いたり、している、ずっと通して書いていればなにかに?また、ノートを使っているが今度は殴り書きの下書きで、後でも手もわかりそうにない。
そうか、そのかわりに、日記の代わり、ノートの代わりにブログを書いている。これは結構続いているし、おそらく死ぬまで続くだろう。
これで良いのだ、と思ったら、日記の代わりならば、それほど大上段に振りかぶらなくてもいい。もちろん振りかぶるときもあるだろうが、毎日振りかぶっているものだから疲れてしまっている。
書きすぎているきらいもないではない。読んでいただいている人も疲れるだろう。
今、月刊ダイバーの原稿が暗礁に乗り上げている。編集の潮美が良くやってくれていて、親孝行のつもりだろうが、今回は要求が厳しい。3月号で終わりだからあと3回、まとめなければいけない。第一項は、順序がNGで第二稿は圧縮しすぎたらしくで何が何だかわからない。もう、圧縮しないで丁寧に書くだけ書いて、下駄を預けてしまおう。
そこで年表を出して見た。
お世話になっている月刊ダイバーの創刊が1980年だった。
自分用の覚書のようなものだから間違いもあるだろう。
この年表の1980年の釜石湾口防潮堤の工事から、龍泉洞、沼沢沼発電所トンネル調査までの間を
スガ・マリンメカニックで、僕とチームを作った何人か、スガ・マリンサーカスと自称していたチームのメンバーを紹介しながら、書きたい。45歳から48歳、ダイバーとしての最盛期のところだ。
年表をもう少しきちんとして、年表の部分をとりあげてブログにするのもいいかなとおもっている。
この年表をフェイスブックにだしたら、自分のその時代と重ね合わせて、懐かしいと思ってくれる人もいたことだろう。
今日の夜竹芝から船に乗ります。