前に書いてそのままになっていた。石川宅でのJAUS新年会の鍋の由来。
いま、遅ればせながら載せる。
なお、写真は、1月20日のブログと同じものを使っている。
1月20日、石川宅での新年会レシピの続きである。書いて、あまり長くなるのでそのままにしていた。このあたりで出さないと忘れられてしまう。
さて、おかげさまで、1月20日の鍋は好評で、終了したあと、これは自分の家のレシピにしようと言ってくれたメンバーもいるし、来年の企画まで提案された。腕が抜けるほど、大根おろしをすらなければ、ならない。今回は、石川さんの奥さんと、広田さん(アルバトロスメンバー)の二人で、4本の大根を摺りおろした。大根おろしは、食べる寸前にすらなければいけない。作り置きはできないのだ。宴が始まる前に、大根おろし擂り競技をやろうという提案もなされた。大根を計っておいて、等量にして、誰が早く摺りおろすかというタイムレースである。このように、大根おろしが大量に必要であり、秘訣であるということは徹底できた。
とおろで、スガ鍋と呼ばれることにはやぶさかではないが、須賀がこの鍋を考案したわけではない。アメリカンフットボールの合宿でであった。アメフトをやっていたのですか、聞かれる。高校の体育の時間にやった。それで、ルールと見方、評論家になれる程度の知識を得た。
そして、それは、今からおよそ45年前のことだった。まだ東亜潜水機にいた1968年頃のことだ。そのころは、まだアメリカのNFLなどは海の向こうの話だし、社会人リーグもまだ始動中。アメフトと言えば学生リーグであり、その学生リーグは、赤の軍団とよばれた日大フェニックスが全盛であり、毎年正月のライスボールでも、西の青の軍団、関西学院大学を寄せ付けず、東の日大が連勝していた。赤の軍団を率いるのが、日大フットボール部、篠竹幹夫監督だった。
その篠竹監督がある日、東亜潜水機にやってきた。金に糸目をつけない(監督は金持ちなのか?)から、僕にアクアラングを教えろと言う。フットボールフアンとしてはあこがれの人だから、心の中では、チャンスと思いつつ、冷静に受け答えをした。こういう人が一番危ない。身体が大きく、自分は不死身だと思っている。日大フェニックス、つまり不死鳥だ。水中では不死身だと思っている人から順に死ぬことになっている?。そのことを説明し、もし、アクアラングをやるならば、あなたは水の中ではこれからよちよち歩きの幼児になる。僕の言うことを絶対に聞くと言うならば、教えると言った。それを了承して僕の弟子となった。と同時に、その言葉と僕は気に入られて、日大フットボール部の客分となった。
彼らは毎夏、房総の岩井に家を一軒借りて、選手たちともども夏合宿のあとでの保養休暇を過ごす。そこでアクアラングで遊ぼうというわけだ。
師匠と弟子である。東京にあるフットボール部の合宿所にもよく遊びに行くようになった。監督の部屋に行くと虎の皮が敷き詰められている。三頭分ぐらいだろうか、さらに、ベッドには豹と虎、ソファーにも二頭。合計七頭だ。まだワシントン条約など遠い先の話だ。監督は言う。虎は夢魔を追い払う。だから虎の上でねるのだという。「須賀さん、君は幽霊を見ることがあるかね?」「いや、ありませんけど」「そうかね、君は残念ながら金持ちにはならないね。」「はあ?」「幽霊は金気、お金のにおいのするところに憑くんだ。幽霊が来るときには、「ちーーっ」と言う音がするんでわかる。そして身体が寒くなる。冷気っていうんだろうな。それで、虎の皮を敷いている。」
僕はこの言葉が気に入って、会うダイバーみんなに聞く。「幽霊って見たことある?」ほとんどのダイバーが見たことないと言う。
さらに監督の部屋にはすさまじい日本画が鴨居に掛けてある。戦国時代、武将が一騎打ちして、勝った方が相手の首を落とすのだが、首を落としただけでなくて、その首を足で踏みつけて、刀を逆手に持って突き刺している。常勝の監督が重んじているのは闘争心である。「スコアは100対ゼロを理想とする。ただ勝てば良いのではない。立ち上がれないほどたたきのめさなければいけない。」という。
後のことだが、監督も年老いて、糖尿になり、グラウンドに出ても昔の精気が無くなった。日大も常勝ではなくなり、関西学院の時代になった。そして、監督も亡くなり、日大は相変わらず赤の軍団だが、東の王者にも時たまにしかなれなくなった。専門的なことを言うと、今では本場のアメリカでも多くのチームで使われているショットガンというパスホーメーションは篠竹監督の日大が作り上げたものである。ただのバンカラではない。監督の自伝、もちろん自分で書いたものではなくて誰かに書かせたものだが何冊もある。しかし書かせたと言って、文章が書けないわけではなくて、彼は詩人でもあった。演歌歌手のだれかに歌わせたという。そういう詩人だ。
さて話が脱線した。いよいよ夏の合宿、が終わると、千葉県の岩井に家を借りて海水浴をする。選手、OB関係者がそろって遊びの海水浴である。
監督は水中銃を持って魚突きをする。そのためのアクアラングである。一緒についていって、魚突きも教える。その頃の岩井は良いところで、海に向かって右手の岩礁地帯に行くと、海に入ってすぐのところでも魚が突けた。
昼の部のアクアラングが終わると、麻雀が始まる。これもつきあう。ほとんど徹夜、朝になるとこれから投網を打ちに行くという。監督は投網も練習中なのだ。投網が終了し、朝の食事を食べると、そのままアクアラングになだれ込む。こちらは師匠だし、僕もまだ若い。ギブアップするわけには行かない。監督が倒れるか僕が倒れるかの勝負だ。
そんな合宿での昼食だ。二年生だか三年生の部員が、ただひたすら大根おろしを摺る。そんなにたくさんおろしてどうするの、というくらい摺る。食堂に大きい鍋をいくつか置き、夏だから高いだろうに、白菜が山に切られていて、豚肉が山になっていて沸いた鍋の中にぶち込む。安い豚肉だから、しゃぶしゃぶにはならない。ある程度煮る。どんぶりに大根おろしを山と入れて、七味唐辛子を好きなだけ入れて醤油をかけ、白菜と豚肉をどっぷり漬けて食べる。食べたことが無かったしおいしかったから、監督に聞いた「何という鍋ですか?」たぶん名前など無かったのだろう。少し考えて「フットボール鍋」と答えた。これが、僕の鍋のルーツである。
いま、遅ればせながら載せる。
なお、写真は、1月20日のブログと同じものを使っている。
1月20日、石川宅での新年会レシピの続きである。書いて、あまり長くなるのでそのままにしていた。このあたりで出さないと忘れられてしまう。
さて、おかげさまで、1月20日の鍋は好評で、終了したあと、これは自分の家のレシピにしようと言ってくれたメンバーもいるし、来年の企画まで提案された。腕が抜けるほど、大根おろしをすらなければ、ならない。今回は、石川さんの奥さんと、広田さん(アルバトロスメンバー)の二人で、4本の大根を摺りおろした。大根おろしは、食べる寸前にすらなければいけない。作り置きはできないのだ。宴が始まる前に、大根おろし擂り競技をやろうという提案もなされた。大根を計っておいて、等量にして、誰が早く摺りおろすかというタイムレースである。このように、大根おろしが大量に必要であり、秘訣であるということは徹底できた。
とおろで、スガ鍋と呼ばれることにはやぶさかではないが、須賀がこの鍋を考案したわけではない。アメリカンフットボールの合宿でであった。アメフトをやっていたのですか、聞かれる。高校の体育の時間にやった。それで、ルールと見方、評論家になれる程度の知識を得た。
そして、それは、今からおよそ45年前のことだった。まだ東亜潜水機にいた1968年頃のことだ。そのころは、まだアメリカのNFLなどは海の向こうの話だし、社会人リーグもまだ始動中。アメフトと言えば学生リーグであり、その学生リーグは、赤の軍団とよばれた日大フェニックスが全盛であり、毎年正月のライスボールでも、西の青の軍団、関西学院大学を寄せ付けず、東の日大が連勝していた。赤の軍団を率いるのが、日大フットボール部、篠竹幹夫監督だった。
その篠竹監督がある日、東亜潜水機にやってきた。金に糸目をつけない(監督は金持ちなのか?)から、僕にアクアラングを教えろと言う。フットボールフアンとしてはあこがれの人だから、心の中では、チャンスと思いつつ、冷静に受け答えをした。こういう人が一番危ない。身体が大きく、自分は不死身だと思っている。日大フェニックス、つまり不死鳥だ。水中では不死身だと思っている人から順に死ぬことになっている?。そのことを説明し、もし、アクアラングをやるならば、あなたは水の中ではこれからよちよち歩きの幼児になる。僕の言うことを絶対に聞くと言うならば、教えると言った。それを了承して僕の弟子となった。と同時に、その言葉と僕は気に入られて、日大フットボール部の客分となった。
彼らは毎夏、房総の岩井に家を一軒借りて、選手たちともども夏合宿のあとでの保養休暇を過ごす。そこでアクアラングで遊ぼうというわけだ。
師匠と弟子である。東京にあるフットボール部の合宿所にもよく遊びに行くようになった。監督の部屋に行くと虎の皮が敷き詰められている。三頭分ぐらいだろうか、さらに、ベッドには豹と虎、ソファーにも二頭。合計七頭だ。まだワシントン条約など遠い先の話だ。監督は言う。虎は夢魔を追い払う。だから虎の上でねるのだという。「須賀さん、君は幽霊を見ることがあるかね?」「いや、ありませんけど」「そうかね、君は残念ながら金持ちにはならないね。」「はあ?」「幽霊は金気、お金のにおいのするところに憑くんだ。幽霊が来るときには、「ちーーっ」と言う音がするんでわかる。そして身体が寒くなる。冷気っていうんだろうな。それで、虎の皮を敷いている。」
僕はこの言葉が気に入って、会うダイバーみんなに聞く。「幽霊って見たことある?」ほとんどのダイバーが見たことないと言う。
さらに監督の部屋にはすさまじい日本画が鴨居に掛けてある。戦国時代、武将が一騎打ちして、勝った方が相手の首を落とすのだが、首を落としただけでなくて、その首を足で踏みつけて、刀を逆手に持って突き刺している。常勝の監督が重んじているのは闘争心である。「スコアは100対ゼロを理想とする。ただ勝てば良いのではない。立ち上がれないほどたたきのめさなければいけない。」という。
後のことだが、監督も年老いて、糖尿になり、グラウンドに出ても昔の精気が無くなった。日大も常勝ではなくなり、関西学院の時代になった。そして、監督も亡くなり、日大は相変わらず赤の軍団だが、東の王者にも時たまにしかなれなくなった。専門的なことを言うと、今では本場のアメリカでも多くのチームで使われているショットガンというパスホーメーションは篠竹監督の日大が作り上げたものである。ただのバンカラではない。監督の自伝、もちろん自分で書いたものではなくて誰かに書かせたものだが何冊もある。しかし書かせたと言って、文章が書けないわけではなくて、彼は詩人でもあった。演歌歌手のだれかに歌わせたという。そういう詩人だ。
さて話が脱線した。いよいよ夏の合宿、が終わると、千葉県の岩井に家を借りて海水浴をする。選手、OB関係者がそろって遊びの海水浴である。
監督は水中銃を持って魚突きをする。そのためのアクアラングである。一緒についていって、魚突きも教える。その頃の岩井は良いところで、海に向かって右手の岩礁地帯に行くと、海に入ってすぐのところでも魚が突けた。
昼の部のアクアラングが終わると、麻雀が始まる。これもつきあう。ほとんど徹夜、朝になるとこれから投網を打ちに行くという。監督は投網も練習中なのだ。投網が終了し、朝の食事を食べると、そのままアクアラングになだれ込む。こちらは師匠だし、僕もまだ若い。ギブアップするわけには行かない。監督が倒れるか僕が倒れるかの勝負だ。
そんな合宿での昼食だ。二年生だか三年生の部員が、ただひたすら大根おろしを摺る。そんなにたくさんおろしてどうするの、というくらい摺る。食堂に大きい鍋をいくつか置き、夏だから高いだろうに、白菜が山に切られていて、豚肉が山になっていて沸いた鍋の中にぶち込む。安い豚肉だから、しゃぶしゃぶにはならない。ある程度煮る。どんぶりに大根おろしを山と入れて、七味唐辛子を好きなだけ入れて醤油をかけ、白菜と豚肉をどっぷり漬けて食べる。食べたことが無かったしおいしかったから、監督に聞いた「何という鍋ですか?」たぶん名前など無かったのだろう。少し考えて「フットボール鍋」と答えた。これが、僕の鍋のルーツである。