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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0823 ダイビングの歴史 84 ダイビングワールド 75年5月創刊

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 1970年代と言うのは、スクーバダイビングにとっても、海洋開発にとっても、峠だった。自分自身もその中で生きている。沖縄海洋博があった75年は、その峠の一番高い部分。
 「海の世界」で80年までなんとか、行くつもりだったが、75年、5月に「ダイビング・ワールドが創刊する。
 残念なことに、ダイビング・ワールド、75年は、5月創刊と、11月しかない。隔月だったから、7月と9月がないわけだが、とにかく5月創刊号
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 ダイビングワールドは、黒川治雄、田中龍彦、大竹憲一が作った。
 黒川君はは潜水部の近しい後輩だし、田中龍彦は、親友、大竹憲一は、高校時代から、東亜潜水機に来ていて、「海の世界」で活躍していた。一番若い大竹が亡くなってしまっていたことを、この前聞いた。そんなことで、1976年には連載をさせてもらった。
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 何回も紹介しているし、この写真もそのときに使ったが、沼津内浦湾の海底ハウス、今は別の位置に移されて、魚礁になっているが、このグラビアが、一番よくわかる。
 まだ、大瀬崎が有名にならない前のことだ。

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 この海底ハウス もしも、がたくさんある。
 もしも、事故が起こらないで、続いていたらどうなっただろう。
 海底ハウスに長く居たら、今だったら、長い半飽和時間の窒素をため込んで、減圧症になっただろう。この「今だったら」というところが肝要、昔だったから、減圧症にかからなかっただろうか。ましてや、ここで潜って東京に戻るには、御殿場という高所を越えていく。
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 クローズサーキットとセミクローズの試用
 当時、ダイバーだったら、使ってみたくなる。
 使ってみたら、命が無かったかもしれない。 

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