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0210 伏竜

 
清水さんは、帝国海軍の潜水の神様といわれた人で、昭和20年当時(終戦の年であるが)横須賀の工作学校の潜水研究員だった。当時の日本の潜水は、船が魚雷を受けたりして穴が開いた場合など、応急処理でその穴を塞ぐ、つまり工作隊で、素早く穴を塞げばその船は沈没しないで済む。軍艦にとって潜水工作兵は、無くてはならない存在だった。潜水工作兵は、防御の役割だが、潜水を攻撃に使えないか、という要求がでてきた。送気するホースを曳いていたのでは攻撃などできない。独立して自由に泳げなければならない。そのころは、すでに紹介したように、地中海の戦場では酸素ラングで敵船を沈没させる戦闘が繰り広げていたのだが、今とは違う、攻撃を行っていたのが、同盟国であったイタリアの潜水具であっても遠く離れた日本が手にすることはできない。ただ、戦果については伝わっていただろうから、攻撃のための潜水機の発想は、そのあたりから得たものかもしれない。ただ、清水さんたちは独自で独力でこの伏竜スクーバを作ってしまった。
 独立潜水機(スクーバ)だから、空気では戦闘できるほど長くもるれない。飛行機で使っていた酸素呼吸器が使えると航空技術廠から示唆を得た。
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     僕の100m潜水の総指揮をしてくれたときの清水さん

 この提案を採用して、伏龍は、酸素を呼吸し炭酸ガス吸収剤で炭酸ガスを取り除く呼吸器、リブリーザとなった。さらに、マリンダイビングでの清水さんはかいている。
「航空技術廠の大島軍医少佐が協力指導にあたってくれた。少佐自ら酸素マスクをかぶって水圧タンクに入り込み、長時間の実験を行った。その結果、大気圧では12ー13時間、深度10mでは5時間、深度20mでは1時間の潜水は、人体に悪影響を及ぼさないという貴重な結論を出したのである。」
 ええっと驚く人もいるだろう。現在、純酸素を水中で呼吸して良いのは(日本では水深にかかわらず、現在のところNGであるが)水深4。6mまでである。
 20mで1時間とは、どういうことなのだろうか。清水さんは「特異体質者も千人に一人ぐらいはいる。酸素を吸えばすぐふらふらになり呼吸を続けられなくなる。」と書いているだけで、痙攣とか引きつけのような酸素中毒の症状は記録していない。僕の潜水の総指揮をお願いしていたのだから、話すチャンスは十分にある。米国海軍のマニュアルを持ち出して、酸素中毒について説明したが、そんなことはないと一蹴される。清水さんは自分たちの実験結果を信じていて、米国、この前まで敵国であった海軍のマニュアルなど信じない。清水さんはうそつきではない。本当にそう信じているのだ。なぜ、酸素中毒にならなかったのか。いくつかの理由が考えられる。
 最近まで大深度に潜水するダイバーは、純酸素による減圧を行うため、再圧タンクの中で、水深18m相当の圧力で、純酸素を呼吸して30分を過ごす、酸素耐性テストを受けなければならなかった。僕も60歳の時の100m実験潜水を行うとき、娘の潮美とともにこれを行い、合格した。しかし、現在では、このテストに合格したところで、その日の体調で変化があるので、絶対的なものではないとされ、このテストは行われなくなった。20mで1時間のテストも、決して無理ではなかったのだろう。
 も一つの理由は、呼吸していた酸素が酸素90%空気10%ぐらいになっていたのではないか、伏龍は、潜水服を呼吸袋にしたリブリーザーである。潜水服に充満している酸素を鼻から吸い込み、じょうろのような吐き出し口に口をつけて、背中につけた炭酸ガス吸収缶に通じる蛇腹管に息を吐き出す。つまり、鼻から吸って口から管の中に吐き出す。潜水服の中は、空気が残っていて、酸素の%が低くなっていたのではないか。しかし、潜水服のなかの酸素が空気薄められると、酸素欠乏のおそれがある。しかし、潜水服の内容積が大きいから酸素欠乏になりにくかったとか、このあたりのことはよくわからないがとにかく伏龍では、酸素中毒は起こらなかったことは事実と思わなければならない。帝国海軍の実験である、いい加減とはおもえない。
 伏龍はヘルメット式潜水機であったが従来のように大型ではなく、小型ヘルメット式潜水器であった。清水さんは書いている。
 「3月はじめに着手したものが、早くも3月の末には実用可能の域に突入した。普通、一年はゆうに必要である。この超スピードを助けてくれたものに、小型潜水具の応用があった。これは在来のヘルメット式を小型に改良したもので、きわめて効率が良い。近い将来、全海軍の潜水具をすべてこれにとりかえるべく予定されていたのである。」
 この小型ヘルメットを作っていたのが僕の勤務していた東亜潜水機であった。東亜潜水機は、普通のヘルメット式潜水器のメーカーであったが、僕が居たころでも、小型ヘルメットを少しではあるが作っていた。これは伏龍の流れであったのだろう。伊豆半島は、潜水器によるテングサ採集が盛んにおこなわれていたところであるが、使う潜水器が各組合によってちがっている。東伊豆の大部分は軽便マスク式(旭式、金王式)であったが、下田近辺と西伊豆の雲見はこの小型ヘルメットをつかっていた。もちろんリブリーザとしての使用ではなく、普通にホースで空気を送っての使用であったが。
 伏龍について書かれたものを読むと、潜水器が粗悪であったような記述があるが、設計としては悪くはない。ヘルメット式としてはもっとも進化したものであったと思う。ただ、戦争も末期である。材料が粗悪であり、また丁寧な加工ができなかったのだろう。

0211 伏竜

 伏龍での潜水についても清水さんは書いている。
 「海底から海面に浮き上がることも必要だ。そのときは給気弁を開いて服内に酸素を放出して浮力をつけ、三保の松原の天女のごとく、ゆらりゆらりとのぼって行く、再び海面から下がるばあいはこの逆を行く。排気弁を押して潜水服をしぼませると沈み出すが、うっかりして排気が多すぎると急降下して自爆をとげる。そこで、沈降時は、給気弁を握って適宜補給し、墜落を防ぐのである。またヘリコプターのように、ほしいままに水中停止ができるのである。潜望鏡を使うのもこのときだ。海面に顔を出さずに敵状を偵察する。」
 普通のヘルメット式潜水機はただ海底を歩くだけだ。潜降と浮上は潜降索(下がり綱)にすがって行う。手を離して墜落すれば、ひどいスクィーズ、バランスを崩して、足の方に空気が回れば逆立ち状態で吹き上げられ減圧症だ。それでも日本の潜水夫は職人気質で中性浮力で潜降したり浮上したりして事故を起こす。そんな事故を防ぐ為もあって潜水士の規則ができた。アメリカのヘルメット潜水機は、ステージに乗って、エレベータに乗るように潜降、浮上をする。
 それが、小型ヘルメットとはいえ、フィンもつけない伏龍戦士は、水面近くに浮いて潜望鏡で偵察するという。数年の経験がなければこんな事はできない。しかし、清水さんは帝国海軍の潜水の神様といわれた人だ。
 「訓練部隊たる第七十一嵐部隊の教育期間はおよそ一ヶ月、それでは、一人で海底を歩けるという段階に止まる。我々は、一年の養成期間を切望した。しかし戦局はその暇を与えない。7月中旬に第一回生を送り出すと、すぐにまた1000名の新隊員が入隊してきた。」1000台の潜水機を生産する能力は日本のどこにもない。東亜潜水機も海軍の指定工場であったが、一日に5台を作る能力もなかったろう。
「伏龍は敵の上陸軍を水際で撃滅するものであった。戦車揚陸用を含んだ敵上陸用舟艇を水際で爆砕するために、隊員は棒機雷を携行する。機雷な直径25mm長さ55mmの機雷には長さやく7mの竹竿がついていて、これを槍のように船めがけて突き出す。」
 もちろん、自分の命はない。一緒に爆死する。特攻である。
 特効の是非は現時点で論じても仕方がない。当時の僕は小学校2年生だったはずだが、東京の浜町の家は3月9日の下町大空襲で燃えて、留守番していた女の人が亡くなった。都心に向かって逃げれば助かったのに、実家が江戸川の方だったので、下町に向かって逃げた。僕もそのまま戦争が続いて大きくなったら特攻に志願したと思う。伏龍特攻隊は、予科練の10代の子供たちだった。飛行機で体当たりしようと予科練に志願したのだが、そのころはもう彼らを乗せる飛行機はなく、飛行機の代わりの潜水機だった。
 とりあえず潜水して棒機雷をもって配置につけるように練習を積んだ伏龍特攻隊は、敵の上陸の知らせをうけて、一度だけ出撃しようとしたが、誤報だった。
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 清水さんは残念だったような表現で書いているが、誤報でよかった。上陸してくる米軍の方には、UDT 水中破壊部隊というスキンダイビング部隊があった。上陸用舟艇がくる前に、泳いで来て障害物を爆破する。彼らが、伏龍と出会ったら、どんな戦闘が展開されただろうか。なお、UDT の損耗率も高く、グアムだったかへの上陸では40%が失われたという。伏龍特攻隊を題材にした小説、ノンフィクションも何冊も出ていて、青春ものみたいなのもあれば、残酷物語もある。私見を言えば、当時の軍隊はすべて残酷だった。どの兵種でも人はたくさん死んだ。特に伏龍特攻隊だけが、死亡事故が多かったということは無いとおもう。その点については、今でも同じ水の事故でも潜水は特筆されるのとおなじだろう。清水さんは、自分のところでは無事故だというが、戦争の練習をしていて無事故のはずがない。しかし、次回に述べる「海軍伏龍特攻隊」光文社NF文庫 でも、他の本でも、清水さんのことを悪く書いている本はない。まっすぐに潜水だけに賭けた人だったのだろう。しかし、頑固でついに酸素中毒は、水深10mで
5時間は大丈夫、20mで1時間は大丈夫で、この潜水機で三浦岬の海に潜り、食料の採捕も行っていたと譲らなかった。

0213 伏龍

伏龍については2010年にもブログで書いたことがある。そのころと今とで、少し考えが違っているし、今度と調べたこともあり、もう一度書き直す。 

 「海軍伏龍特攻隊」光文社NF文庫 の著者である門奈鷹一郎さんのお話の会があり、それを聞きに藤沢まで行った。2010年のことである。門奈さんは伏龍の実際の体験者である。
 友人である、パパラギの武本さんが主催する講演会である。武本さんは、PADIのダイビングショップチェーンを大々的に展開している人で、江ノ島でスノーケリングを積極的に進めても居る。スノーケリングのシンポジュウムを僕が計画したときにお話をしてもらって、以後、親しくなった。
 僕とは生き方も考え方も違うけれど、尊敬できる商売人である。商売人であるけれど、社会に何か貢献しようという気持ちも持っておられて、このような会をやる。そして、その会も商売につなげてしまうところがすごい。
 一度は門奈さんにお目にかかっておきたかったし、技術的なこと、当時の人間関係などについても、お聞きしたいこともあったのだが、講演を聴いた印象では、ほとんどが本にすでに書かれていたことだった。僕の聞きたかったこと、酸素中毒は本当に無かったのだろうか、などは、あまり関心もないらしく、ご存知無いようだった。酸素中毒でばたばた倒れるようなことは、やはり無かったらしい。 
 
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 門奈さんと、伏龍の模型、そして武本さん。
 この模型は、現在久里浜の野比中学においてあるそうだ。

 伏龍に使った潜水器は、小型化されたとはいえ、ヘルメット式で全重量が68キロで]ヘルメットに閉じこめられた状態では式と同じ、陸上を歩くのも大変だ。純酸素を呼吸しているからと言って、波打ち際を長い距離、歩けるわけがない。
 ダイバーだったらすぐにわかる。68キロを背負って、7mほどの爆薬の付いた竿を背負い、苦しい潜水機から呼吸し、波打ち際からエントリーし、海底をあるいて定められた地点に行く。多分、敵が上陸してくる海岸には、波もある。もしかしたら、サーフィンができるような海岸かもしれない。普通の考えでは不可能だ。訓練は過酷なものになったことはまちがいない。

 先ごろ、硫黄島の映画が公開されたりしているが、硫黄島では、水際での邀撃はやめて、島全体に地下の壕を掘り、上陸させてから戦う戦闘を行い。太平洋戦争で、初めて、日本の戦傷者よりも米軍海兵隊の戦傷者が多く、それを恐れた米軍が、日本本土への上陸をできれば避けたい。そして、原爆の投下に繋がってしまったというのだが、それなのに、伏龍は水際の水中作戦だ。
 清水さんの書いたマリンダイビングの記事では、戦車の楊陸をとどめたかったのだとある。それならと納得もできるが


 清水さんには僕の100m潜水の総指揮をしていただいたが、他に一緒に仕事をした事が二つある。一つは現在も東亜潜水機の象徴のようになっている、潜水タワーの建設だった。僕はスクーバの練習が主体と考えてもっと浅くてもよいから面積をとりたかったのでだいぶ議論したが、これは清水案で作った。もう一つは、海上自衛隊の機雷処理部隊が潜水して機雷に取り付ける浮き袋だった。浮き袋をつけてから、ダイバーが余裕をもって水から上がってから 例えば30分後に浮き上がるから、これを銃撃して爆破させる。つまり時限装置だ。タイマーは電子式が普通だが、水中で使うには、確実性が自信がない。小さなボンベを付けてここからわずかずつ空気を漏らして、圧力の低下でスイッチが入るような装置、つまりリザーブバルブの裏返しを作った。僕がこのタイマーを、清水さんは浮き袋作った。


 尾道のマリンテクノの教官をされていた三宅さんも伏龍の経験者である。三宅さんにもまだ話を聞いていない。今年こそ行きたいけれど、お元気だろうか。その三宅さんが呉の江田島に清水さんを案内した。今の江田島と昔の江田島ではかなりちがう。潜水訓練の施設も潜水機もちがう。清水さんは大変に喜ばれたが、その旅行からもどって、あまり時を置かずに亡くなってしまった。清水さんは、須賀君にもういちどあいたいと何度も言っていたと三宅さんに聞いた。僕も会いたかった。若い頃の無礼をお詫びするとともに、やはり、酸素中毒のことをもう一度聞きたい。いや、そういうところが、僕のよくないところで、もはや、結論、事実はわかっていることなのだから、20m1時間としておけばよい。たぶん、僕ならば、20m1時間でも酸素中毒にはならないと思う。僕も次第に清水さんに近くなっている。

0215 女子柔道

 本を読む、考える。書く、考える、そして人と会う、行動(水に入る)というサイクル、きらいではない。その間に個人所得の申請などが入るのが、すごいプレッシャーになる。
 最近話題になった柔道女子パワハラの問題、スポーツを教えるということを仕事の一つとしてきた身として、おろそかにはできない問題だ。
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 今日読んだ本。「栄光一途」雫井脩介」
 手に取ったら女子柔道の話だから読むことにした。
 おもしろかった。主人公は、かつて世界選手権で金メダルをとり、まだ若いがアキレス腱切断でオリンピックを断念して引退し、オリンピック代表の下っ端コーチをつとめる望月篠子で、スポーツ心理学を専攻、大学助手もしている筋肉美人で27歳。
スポーツ心理学というと社会スポーツセンターの講習でお世話になった日体大の長田先生を思い出す。怪しい先生だったけれど今お元気だろうか。この小説にもでてくる催眠術のような自律調整法も教えられて、僕もやってみたことがある。やったことがある人少なくないと思う。仰向けに寝て、リラックスして腹式呼吸をする。「右の足がだんだん重くなる。」とか、自己暗示をかけて、最後は心を体から離脱させることができる。僕はついにできなかったけれど、スポーツ心理をやる人はきっとできるのだろう。
 小説のもう一人の主人公は、同じ大学助手仲間の佐々木深紅。示現流達人の女剣士である。テーマは、オリンピックの柔道選手のドーピング問題を扱っていて、題材と主人公たちのキャラクターがおもしろくて一気によんでしまった。女剣士が最後は悪人どもを示現流で叩きのめして解決してしまうのだが。読んだあとの後味が悪かった。オリンピック候補の若い選手たち二人を精神的に壊してしまう。いくらミステリー仕立てにしようとするのでも、せっかくスポーツコーチという職業の苦労と栄光をあるていどの感動で読んでいて、納得しているのにそれをどんでん返ししてしまう。オリンピックに選ばれた、女子と男子の選手が殺人をしてしまうなんて。ありえない嘘になってしまっている。
 ただ、スポーツ選手には、長田先生が言っていたように、メンタルの要素が大きいことはわかる。そしてこの本の頭の方で、主人公のコーチが、イメージトレーニングとメンタルトレーニングのちがいを説明するところなど、よかった。イメージトレーニングは、メンタルとフィジカルの両方にかかる橋なのだ。ダイビングでもフィジカルとメンタルは車の両輪だ。そして、イメージトレーニングはとても大事だ。エントリーからエキジットまで、頭の中でイメージ、つまり絵として超早送りで見通せなくてはいけない。
この小説、監督が日本柔道を強くするためにドーピングをやってしまうのだから、これもありえないひどい話だ。本当に、手に汗握るような面白い小説で、感情移入していたのに、ラストのどんでん返しで、がっかりしてしまった。小説は、サクセスストーリーでなければ、読者を励ますことはできない。
 この小説でもそうなのだが、現実でも、日本の柔道界は金メダルをとらなければ、中心のコーチになることができないみたいだ。
柔道女子15人の乱、週刊文春によれば、筑波、東海連合対明治大学の暗闘だという。あるかもしれないが、しかし、男の監督が女子の選手をはたくなんてありえないことのように思える。たぶん、監督は、自分も殴られて育って一流選手になったのだろう。女と男のちがいもわからずに女子の監督をやっている。やらせる方もどうかしている。男が女をたたけばパワハラだ。女が男をひっかいても、パワハラとは言われない。そして、女が男よりも強い、そして頑固、女の怖さもしらないのだろうか。
 そして、なんと理屈をつけようが、スポーツで暴力はゆるされない時代になっている。愛の鞭なんて言葉は昭和時代の言葉だ。時代を理解しない。つまり社会常識のない人が監督をして強くなるわけがない。スポーツは今では科学だ。論理的でなければコーチはできない。昔とはちがう。

0216 風呂田先生退官記念


 風呂田教授退官記念文集への投稿

 風呂田先生と知り合ったのは何年と覚えていないほど古いが、親しく一緒に仕事をしたのは、テレビのニュースステーションでの東京湾特集の最初のシリーズだから1986年のはずだ。なんだ、それではたった25年前のことか、気持ちの上、気分では50年くらい一緒に歩んできたような気がする。
 一緒に歩んだといっても、良いスタンス、適当な距離で協力し、お世話になり、争いをしたことは一度もなく、不愉快なことも一度もなく、あえば楽しく仕事をしてきた。風呂田さんのお人柄だとおもう。
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 ※ 風呂田先生の写真、くさるほどあると思っていたのに、探してみると見つからない。これはホンビノス貝のクラムチャウダーを作って食べているところ。


 25年、短いとは言え長いから、しっかり思い出を書けば、本一冊は堅い。思いつくキーワードを順不同で並べよう。
 ニュースステーションは、東京湾の話題の度にでてもらった。NAUI、これは一緒の仕事ではないが、いつもNAUIのキャップをかぶっていた。イッカククモガニ。東京湾海洋研究会。東京湾潜水探検隊。三番瀬埋め立て反対。電通の神領さんの企画で24時間三番瀬に舟を浮かべての撮影観察、風呂田先生が流される。ケーブルダイビングシステム。暗黒の水深30m、埋め立てのための掘削跡へ一緒に潜水。ゴカイを食べる、ワレカラを食べる、娘の潮美がなついていてお世話にり、彼女の修士は東邦大で。東京港水中生物研究会、お台場の潜水はそろそろ100回を迎える。1996 年からだから17年一緒、人生の終わりにみる走馬燈のようだが、まだまだ、終わらせるわけにはゆかない。どうか、終わりまでおつきあいください。
 

0220 GoPro 白浜ー2

 2回目の潜水は、須賀が12リットル、石川10、鈴木8で、ラインも終点まで、予定通りにできた。
 浮上して船にあがるとき、石川さんがBC.を脱ぐのに時間がかかっている。あとで聞いたら、BC.のショルダーベルトのバックルを外さずに、肩から脱ぐのに時間がかかっていることがわかった。こんなところにもノウハウがある。ノウハウとは、知識を経験の集積で、企業的には秘密にされることが多い。そんなノウハウの発表、集積をする研究会をJAUSで実行する計画をたてている。そのノウハウがあれば、死ななくてよかったダイビング事故がいくつもある。BCの外し方でも、すごいうねりの中だったら、どうだろう。ボートへ梯子が無くて素早く上がるノウハウをしらなくて、救助に来たボートに激突して亡くなった事故が、ずいぶん前だけれど外房であった。

 設置しているラインを回収しているとき、鈴木さんのマスクマウントのバックルがはずれてボートの上に落ちている。あわててカメラを探したけれどもない。全部のオンボードカメラ、ラインを撤収してから、ボートの中をくまなく探したが、ない。
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 前に八重山でウミンチューをやっている河村君のフェイスブックで、水中銃の先端に取り付けてて迫力のあるシーンを撮影しているGoProの蓋が開いてしまって。今度からインシュロックで固縛しておこうと書いているのをみた。彼は水中銃の先端だ。こちらはマスクマウント、あるいは手持ちだから大丈夫とケアしていなかった。今度発売ののGoPro、Hero3のバックルがダブルロックになっている改善はそのためだったのかと悟る。きっと同じトラブルが続出したのだろう。
 カメラのトラブルは、戦争での武器の損失とおなじだから、仕方がないが、記録したデータが失われてしまったのが痛い。特に今回は、GoProHero3のブラックとシルバー、ソニーそして鈴木さんのGoProHero2と4種類のカメラの比較をしようとしていたのだからHero2のデータがほしかった。
 ここでは、オンボードのHero2のスチルと比較してみよう。この設定ではHero2が良い。
 
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    GoPro960(旧型)ドーム
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    GoPro960 フラット
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    hero 2
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HERO3

 撮影した動画をみると、水中ですでに鈴木さんのGoProはバックルが取れていて見えない。カメラは入っている。何時外れたのだろう。カメラがあれば、SDCは生きているから、そのあたりのことがしっかりわかったのだが、ボートの上ではバックルが落ちていて、カメラが紛失している。バックルがなぜなくならなかったのだろう。ミステリーだ。想像もできないことが、海の中では起こる。

 鈴木さんのデータがなくなってしまったので、ここでは同じ時間に撮影していたオンボードの960ドーム、960フラット、Hero2とHero3ブラックの失敗・オーバー、Hero3シルバー を比べた。Hero2が良い。
  

  いずれにせよ今後GoProHero2は、結束バンドで縛らなくては、マスクマウントも、BC.のポケットにいれて置くこともできないと思う。インシュロックを切るニッパーは、必携品になる。
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 バンドで結束してみた。フラットポートのサードパーティの丸いポートはうまく結束ができるが、GoPro純正のフラットポートは、どうやっても縛れない。四角い窓が邪魔をしてしまうのだ。これまでは四角い窓が一軍で、HERO 2を入れ、丸窓に古い型の960型を入れていたが、四角窓は二軍落ちだ。これを使っているみなさんは、なんとか結束の手段を工夫するか、バックルは外れるものと覚悟して大事に扱わなければいけない。そして、もちろんこれからの購入は、ダブルロックのHERO 3 にする。

0227 水中科学協会企画

ASUS のEpad12月に買って、1月に修理に出して25日にもどってきた。キーボードが使えないので、修理に出したのだが全然なおっていない。また電話して送り返して、というサイクルをくりかえすのだろうか。買ったところに持って行って、交渉しようとおもうけれど、メーカーに修理に出せというだろう。買った店に持ってゆく時間のむだだろうか。ネットの情報では、このメーカーは、これが普通のことらしい。何度でも送り返しすしかないのだろうか。
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 これまで、コンピューターを何台買ったかおぼえていないくらいだが、こんなことは初めての経験だ。ヤフーオークションでも何回か買った。この前のミニブックは、3年近く持ち歩いて愛用したが、さすがに調子が悪くなり、さらに間違って液晶をこわしてしまったが、まだ、モニターをつけて事務所の一角で使える状態を維持している。
 いきなり、初期不良で使えず、修理に出しても治らないで戻ってくる。
 ネットで調べてみると、この会社について、同じような体験の苦情が書いてある。
 仕方が無いから、送り返す。
 このSL-101 形としてもスペックとしても気に入っているのだが、今度こそなおるだろうか?

 それに代わるものとして、友達の宮本さんが社長をしているキングジムのポメラ、これは3年前、JAUSを立ち上げている時に買って使っていたのだが、小指のAの動きが悪く、それに文書を書くだけに特化していて、画像も見たいし、多機能がほしいと、お蔵入りしていた。ASUS が不調なので引っ張り出して、キーボードのA をちょっと引き出したら治った。
 以来、手放せずに使っている。立ち上がりが早いし、小さい。表で膝の上でも使えるし、コーヒーショップでも楽に使える。
 フェイスブックなどをを見ていると、いろいろなことを考えたり、思いついたりする。それを、手前に置いた小さなポメラでメモしたりもする。
 これは、本当に道具になった。
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 ☆日本水中科学協会 について

 海事の成否の80%、いや90%は運用にかかると大学時代に教えられ、僕の金科玉条になった。ダイビングの安全は運用にかかっている。その運用を勉強するところがない。減圧症の研究が盛んだが、医学的なことはお医者さんの世界のこととして、現場的には運用の失敗が減圧症につながる。そんなことでなんとかダイビング運用学を作り出そうと志してきたが、どうも運用という言葉が、ダイビング社会、とくにレクリエーショナルダイビングになじまない。
 結局、ダイビング活動として企画の素案をつくり会員にメールした。

 JAUSは、いままでよりも入会しやすい会費設定をして、今年度は門戸をさらに広げます。
 この研究会のキックオフミーティングを11日におこないます。関心のある方、お問い合わせは、jaus2010@gmail.com までメールしてください。


日本水中科学協会 ダイビング活動研究企画案
         
 海事(海での活動)の成否のすべては運用方法(計画、だんどりの適否と実施の巧拙)にかかっていると言われている。また、ダイビングはメンタルが重要な活動とも言われている。
 プロの水中作業では、海事運用の巧拙が、職人としての技量だと認識されてはいるが、記録されることは少なかった。研究調査でもレクリエーショナルダイビングでも、運用が意識され記録され公表されることはこれまでは、ほとんどなかった。運用という言葉がダイビング活動になじまないからなのかも知れない。ともかく、日本水中科学協会では、水中活動について、経験を知識化し、共有する研究活動を開始する。すなわち、すべてのダイビング活動は計画の実施である。計画を立案(プログラムを選択する場合もある)し、その計画をどのように実行に移してゆくかのノウハウをまとめ、記録して発表する。
 たとえば、レクリエーションダイビングでは、指導団体には立派なプログラムがあるが、それをどのように実行に移すかのノウハウが重要であり、ゲストに如何にして活動実行のノウハウを伝え、実行させるかが安全のポイントになる。このことは、子供のスノーケリング活動の実施、ドルフィンスイミングのボートオペレーションなどでも同様である。これまでこのような場面のノウハウは個人のものであり、公表され研究されることは無かった。すべてのダイバーがこの活動実行のそれぞれのインストラクターのノウハウを知るチャンスをつくりたい。
これらの公表は、内容はやさしいものであっても、学術研究の発表に近いスタイルでおこない。研究報告も起承転結の明確なフォーマットにしたい。

 この計画の実施として、シンポジュウム、研究発表会、セミナーを行う。シンポジュウム、研究発表会については、報告集を制作し、会員に配布する。

 
 ☆ シンポジュウム
 年間の総まとめと言うべき会であり、12月に行われ、200名から300名を集める。テーマ毎に座長を定め20分程度の発表をおこなう。2テーマ、それぞれ3-5の発表を行う。近年の学会発表のように、発表者はポスターを製作し展示する。

 ☆研究発表会
 8月に行われ、ダイビングシーズンでもあるので、50ー70名を集める。ゆったりと時間をとり、3ぐらいの発表を用意し、質疑応答を多くとりいれる

 ☆マンスリーセミナー
 不定期、ほぼ月例でおこなわれ、各活動のエキスパート、メーカー、研究機関、大學、クラブなどが、1回1テーマで講演をおこない。質疑応答、ディベートの時間も十分にとる。
  
 ☆ 印刷物による研究報告 
 研究発表についての印刷物は必須である。シンポジウム、フォーラムについては、投稿を必須とする。これにより、地方に在住する会員も情報を得ることができるし、発表者も研究結果を保存公表し、実績とすることができる。電子的な発表も同時に行うが
、印刷物を伴わないと効果が少ない。
 時間、及び地域的に遠隔なためにシンポジュウムでもフォーラムにも発表できなかった研究については、印刷物で発表することができる。


0228 お台場 

  いただいて、返事を出そうと思っていた書類、新しい水泳指導の方法で、とても興味深かったのですが、紛失してしまった。今日一日、心当たりを探したけれどない。メールならば探せば出てくるのだが、封書はどうすることもできない。封筒ごと亡くなっているので、もういちど発信してくださいとも言えない。ブログに書いておけば見てくれるかもしれない。ブログの読者の方かもしれないので。長野県の方です。封書ではなくて、メール添付で送ってください。アドレスは須賀次郎のHPでわかります。

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      ブラックで撮った砂浜。

2月24日のお台場、潜水から戻ってきた時には、ずいぶんたくさん書くことがあるようなつもりになる。すぐにメモをとっておけばよいのだが、そのままにして、他の仕事に集中して、数日経過すると何が書きたいことだったのかすっかり忘れている。  2月のお台場は、魚も居ないし、透明度も悪いと言うことはすでに知っている。伊豆とか千葉のダイビング地点は、冬は一番透明度が、良い。風呂田先生によれば、2月に透明度が悪いのは、冬のプランクトンの為だというけれど、そうなのだろう。
 透視度が悪く、魚が居なくても、僕のトレーニングのフィールドだから、しっかり潜らなければいけない。
 目標としては、GoPro3のブラックと、GoPro2との比較を濁って居る状態で比べてみることとした。午前中はGoPro3を使う。
 午後に2を使って同じ人工魚礁を撮る。

 なお、今日のゲストは、海洋建設の田原君だ。海洋建設は、お台場に沈設している人工魚礁を作っているメーカーで、田原君とは、昔、瀬戸内海のタコの産卵礁を撮影したときに一緒に潜り親しくなった。この人工魚礁は3月には撤収してしまうので、この2月が、みることができる最後と言うことになる。

 それと、科学未来館の三橋君が来た。水温が低いからドライスーツを貸す。何年も使っていないドライスーツだから、浸水が心配だ。かわいい顔をした、西洋のお姫様のような女の子だけど、見かけによらずタフだから、乱暴に取り扱っても大丈夫だ。ドライスーツの首がきつい。頭の髪の毛が長く、首の細い女の子がドライを着る時の宿命だ。きついくらいでないと浸水してしまう。肩のあたりが少し緩い程度で何とか着られる。しばらく放置して、耐えられれば大丈夫だ。
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       ドライスーツを脱ぐときもたいへん、首が抜けない。
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      足が少し浸みる、浸水するというので、浸水の場所をチェックしている。

 僕はBCをTUSA に変更して、ウエイトをBC.に付けてみたので、そのバランスをみることもテーマだ。
 とにかく、巻き上げるとヘドロの濁り付きのプールだから、練習には最適だ。

 案の定、人工魚礁は、最悪の状態だった。ちょっとで舞い上がる汚い堆積が全体をおおっている。洗い流す波も流れもないので、魚礁の中に堆積するのだろうか。僕がこういう付着物、付着生物の専門家であれば、この人工魚礁の劇的な変化はずいぶんおもしろい研究の対象になると思う。
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     Hero3 ブラック


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     Hero2 あんまり変わらない。
     使い勝手は3がよいけれど、僕たちが使う範囲ならば、2でもよい。
     2と同じスペックで使い勝手がいい、3のシルバーがおすすめだ。
     比べてみて、色がちがう。色を合わせることは、後処理である程度合わせられる。



  12月のお台場のブログで紹介しておいた尾崎さんも来た。古い古い友人で、今年一年かけて、東京湾の水中ドキュメンタリーを撮影する。本当は僕がやりたいような仕事だが、もはや、そういう仕事からは離れてしまっている。
 尾崎君は僕の水中での動き、顔を撮影したが、濁っていて、顔が見えないのでNGとなった。
 尾崎君によれば、久しぶりに取り組んだ東京湾は驚くほど、生物環境が悪化していることを感じたと言う。彼はイメージとして、感覚として東京湾の悪化をとらえている。お台場をみているだけの僕の感覚としても、1990年代から2000年代に入ったとたんに悪くなりはじめ、右肩下がりが続いている。21世紀は、人類の滅亡の世紀なのかもしれない。中国の状況、原子力発電を見ていると本気になってそう思いたくなる。風呂田先生、木村尚君等は、東京湾再生のシンポジュウムを開催したりして努力を傾けている。協力は惜しまないけれど、僕たちがやれることはわずかだ。
 自然環境というけれど、人間も地球的な規模で見れば、一つの自然環境であって、人間環境がどんどん悪化して、人類滅亡の時を迎える。決して地球の滅亡ではない。東京という都市が滅びれば、江戸湾が蘇るだろう。
     
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         HERO2の砂浜
 

0304 報告書

 この2月までやっていた調査の報告書を書かなくてはいけない。期限は3月10日の週だ。あと何日もない。
 そんなことでブログを書く時間がない。月刊ダイバーの日本潜水グラフィティの原稿も間近が締め切りだ。本当に連載をさせてもらっていると、一ヶ月が瞬きする間しかない。

 報告書に話をもどすと、この2年、報告書を書いていない。最新ダイビング用語事典をやっていた。フォーマットを忘れてしまっている。その上、僕はフォーマットを壊してしまおうと思っている。水産関係の海の調査を始めたのは、昭和40年のころからだから、長い。しかも、その長い間、フォーマットは変わっていない。
 僕は昔、研究者になろうとしていたこともあるが、遠い昔であり、研究者にはならなかった。研究的な調査は研究者自身がやるべきだと僕は思っている。僕たちのやることは、研究者の為のデータ集めなのだろうか。そうでもない。では何だ。基本的には、研究者も僕のようなダイバーも海の中で起こっていることを記録し、分析して、何らかのサジェッションをすること、もしくは自分で行動することだろう。大学の後輩でもあり、最近、仲良くできるようになった新井さんなどは、それを貫いて長い。もちろん、人の考えはそれぞれ、生き方もそれぞれだから、視点もちがう。
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 僕のスタンスは、調査でもダイビングでもその実施の方法論、機材の開発とその使い方の改善だ。機材の方はスガマリンメカニックという会社を作り、1980年代の後半まではトップを走っていたが、その後、その機械を使って撮影したりするこことに軸足を移してしまった。一人の人間は、一つのことしかできない。
 テレビ番組のカメラマンになってしまった。カメラのオペレーターもやるけれど、どちらかといえば撮影監督を志した。最後は大型映像のカメラの製作とオペレーターそして水中撮影監督で終わった。
 そのキャリアを生かして、調査の仕事をしたいと、いろいろともがいている。公共予算での調査は、小さい仕事でも入札できまる。その内容の優劣ではない。これが、日本の海の調査の発展を妨げている。妨げていると文句を言ってもはじまらない。突破口をつくりたいと思っている。日本水中科学協会もその一つなのだが、もはや高齢者であり、思うようにできない。
 しかし、せっかくもらった仕事だから、何とか新しい手法を考えて実施してみたい。しかしながら発注者は新しい手法など望んでいるわけではない。連続していること継続が求められる。そこが研究者と請負調査会社の差である。研究者ならば新しいことでなければ認められない。請負調査は、新しいことはもとめられていない。フォーマット通りである。と議論が一巡した。
 報告書にもどらないと、終わらない。

0310 マクロ魚眼

報告書に追われて、まだ終わらないのだが、ブログを書いている時間がない。書くことはたくさんあるので、気持ちばかりあせってしまう。
 なぜ、報告書にてこずっているかといえば、ウエアラブルカメラを主体として、動画をとり、静止画を切り出して報告するという手法を全面的に取り上げたら、情報量がめちゃ多くなって整理に手間取ることになった。つまり不慣れ、実験的なことをやっているからだ。


 これも実験的な撮影で、3月5日に浦安海豚倶楽部の練習で習志野プールに行った時の撮影。イノンのマクロ魚眼レンズを買った。
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 マクロといえるほど近づいて、しかも魚眼だから、周囲の状況も撮影できるというレンズだ。
 ペンタックスのW90とそのハウジングがあまり使うチャンスもなく遊んでいるので、このマクロ魚眼の専用にしようとおもっている。
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 魚眼としても、一応写るが使えるものではない。もしかするとW90がぼけているのかもしれないが、
 接写で撮影する対象を持って行くのをわすれたので、GoPro3の液晶ファインダーを接写して、その外側にプールが写っている画を考えた。まあまあだけど、被写体のGoProがあまりシャープに見えない。液晶の中のプールのタイル線は一応わかるが。
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 やはり海で使って見なければ、わからない。

 その時撮影した、GoPro3の絵がとてもよくて、PCの壁紙にしている。
 これを見ると、3型が良いように思う。
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0312 GoPro

ようやく報告書の原稿を送った。これ
で一段落、少し落ち着いてブログが書ける。
 
 一段落だけど、次に15日の漁場施設研究会での研究発表がある。この研究会には何回かでたことがあるが、まだ発表はしたことがない。一度くらいはと思って、発表を申し込んだ。テーマは、今やっているウエアラブルカメラのことだ。
 ウエアラブルカメラといえばFBともだちでありJAUSの会員でもある萩原先生が、ビデオカメラを壊してしまいパラオに行くので買い換えるので、次の機種という相談がFBに書かれていたので、GoProを勧めた。いろいろGoProについてのやりとりがあり、先生は、届いたGoProをみて、これは、単なる記録装置ではないかという。
 人の言葉で目が覚めることは普段のことだが、そう、カメラは、記録装置なのだ。GoProは高画質、超小型の記録装置なのだ。そして水中120度余の超広角レンズがついている。記録装置として最高である。萩原先生は、カメラに、記録装置以上のものを求めている。それは、多分カメラをいじる楽しみ、そしてそのカメラで撮る楽しみを追求する趣味なのだろう。

 物心ついて以来というと大げさだが、サラリーマンと言っても、アクアランク作りと販売の職人兼ダイバーだが、給料をもらっている時代を終わり、給料を支払う方に回って以来、カメラは趣味でいじるものではなくなった。まず、カメラは、一人では持ち上げられないほどの重量があり、これに乗って、呪文(企画書)を唱えれば、世界のどこにでも飛んで行かれる魔法のじゅうたんになった。
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       フィルムの3Dカメラ、多分このカメラとほぼ同じことがGoProでもできてしまう。

 やがて、魔法の呪文の効験がなくなり、調査潜水の仕事にもどると、カメラは記録装置に他ならなくなった。
もちろん新しいカメラを買って、これで、どうやった何を撮ろうと考えることはたのしいけれど、それが目標ではない。どんなふうに記録されるかが大事で、仕事である。
 アマチュアが。両手でようやく持ち上げるようなカメラに蟹の鋏のようなステイにストロボあるいはライトをつけて撮影する。お金も大変だ。何なのだこれは、と思うが、これが、趣味なのだ。
 ダイビングは、その危険性については、趣味も仕事も区別がない。老若男女の区別もないし、上手下手の区別もない。一律に危険である。だから一緒のものと考えてしまうのだが、感性のちがう世界なのだ。
 ただ、幸いにもFBをやったりするおことで、違う世界、違う人種の世界を価値あるものとして理解できるようになってきた。
 そして、良い方向に解釈すれば、僕の考えは、違う人種の言ったり書いたりすることなので、おもしろいと思ってもらえているのかもしれない。
 しかし、自分、としては、違いを理解していないといけない。

 萩原先生には、とにかく、メインのカメラの上に乗せて、潜水のはじめから終わりまで回してくださいといったら、そうしてくれるらしいが、それでは、車につけている、事故記録カメラと同じではないかという。まさしくその通りなのだ。ダイビングにも事故記録カメラが必要だが、事故記録カメラは受け身であって、意志がない。ただ、その事故記録カメラの画像の質が良いならば、カメラの画像を編集、細工して自分の主張を切り出す。その時に明確な意志がある。あとからPCの上で、画像をきりとり、作り出す時に創造の意図を明確にする。
 もう一つ、オンボードカメラ、板付きの設置カメラの映像に意志があるかということになるが、これは、そこにおいて、撮れるものを想像するという意志がある。
 よく話すのだが、カメラを三脚に載せて、じっとシャッターチャンスを待っているカメラマンもいる。カメラを手にして、踊り狂う湯にして撮るカメラマンもいる。そのスタイルによって選択するカメラもちがってくる。
 同じFBで、このごろ売出しの鈴木あやのさんは、GoProをマスクに着けて、御蔵島でイルカを、そして、南極で何を撮るのか知らないが、撮りまくるという。彼女は170度の超広角の意味するところと、そしてアクション、動きの力強さを知っているのだろう。彼女は自分が踊るカメラマンだ。
まあ、萩原先生については、結果待ちだ。彼のスタイルの中で、その感性にこたえられるものがあり、喜んでもらえると良いのだが。

0313 遅れてしまったが、0120の新年会のレシピ由来

前に書いてそのままになっていた。石川宅でのJAUS新年会の鍋の由来。
 いま、遅ればせながら載せる。
 なお、写真は、1月20日のブログと同じものを使っている。
 1月20日、石川宅での新年会レシピの続きである。書いて、あまり長くなるのでそのままにしていた。このあたりで出さないと忘れられてしまう。
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さて、おかげさまで、1月20日の鍋は好評で、終了したあと、これは自分の家のレシピにしようと言ってくれたメンバーもいるし、来年の企画まで提案された。腕が抜けるほど、大根おろしをすらなければ、ならない。今回は、石川さんの奥さんと、広田さん(アルバトロスメンバー)の二人で、4本の大根を摺りおろした。大根おろしは、食べる寸前にすらなければいけない。作り置きはできないのだ。宴が始まる前に、大根おろし擂り競技をやろうという提案もなされた。大根を計っておいて、等量にして、誰が早く摺りおろすかというタイムレースである。このように、大根おろしが大量に必要であり、秘訣であるということは徹底できた。
とおろで、スガ鍋と呼ばれることにはやぶさかではないが、須賀がこの鍋を考案したわけではない。アメリカンフットボールの合宿でであった。アメフトをやっていたのですか、聞かれる。高校の体育の時間にやった。それで、ルールと見方、評論家になれる程度の知識を得た。
そして、それは、今からおよそ45年前のことだった。まだ東亜潜水機にいた1968年頃のことだ。そのころは、まだアメリカのNFLなどは海の向こうの話だし、社会人リーグもまだ始動中。アメフトと言えば学生リーグであり、その学生リーグは、赤の軍団とよばれた日大フェニックスが全盛であり、毎年正月のライスボールでも、西の青の軍団、関西学院大学を寄せ付けず、東の日大が連勝していた。赤の軍団を率いるのが、日大フットボール部、篠竹幹夫監督だった。
 その篠竹監督がある日、東亜潜水機にやってきた。金に糸目をつけない(監督は金持ちなのか?)から、僕にアクアラングを教えろと言う。フットボールフアンとしてはあこがれの人だから、心の中では、チャンスと思いつつ、冷静に受け答えをした。こういう人が一番危ない。身体が大きく、自分は不死身だと思っている。日大フェニックス、つまり不死鳥だ。水中では不死身だと思っている人から順に死ぬことになっている?。そのことを説明し、もし、アクアラングをやるならば、あなたは水の中ではこれからよちよち歩きの幼児になる。僕の言うことを絶対に聞くと言うならば、教えると言った。それを了承して僕の弟子となった。と同時に、その言葉と僕は気に入られて、日大フットボール部の客分となった。
 彼らは毎夏、房総の岩井に家を一軒借りて、選手たちともども夏合宿のあとでの保養休暇を過ごす。そこでアクアラングで遊ぼうというわけだ。
 師匠と弟子である。東京にあるフットボール部の合宿所にもよく遊びに行くようになった。監督の部屋に行くと虎の皮が敷き詰められている。三頭分ぐらいだろうか、さらに、ベッドには豹と虎、ソファーにも二頭。合計七頭だ。まだワシントン条約など遠い先の話だ。監督は言う。虎は夢魔を追い払う。だから虎の上でねるのだという。「須賀さん、君は幽霊を見ることがあるかね?」「いや、ありませんけど」「そうかね、君は残念ながら金持ちにはならないね。」「はあ?」「幽霊は金気、お金のにおいのするところに憑くんだ。幽霊が来るときには、「ちーーっ」と言う音がするんでわかる。そして身体が寒くなる。冷気っていうんだろうな。それで、虎の皮を敷いている。」
 僕はこの言葉が気に入って、会うダイバーみんなに聞く。「幽霊って見たことある?」ほとんどのダイバーが見たことないと言う。
 さらに監督の部屋にはすさまじい日本画が鴨居に掛けてある。戦国時代、武将が一騎打ちして、勝った方が相手の首を落とすのだが、首を落としただけでなくて、その首を足で踏みつけて、刀を逆手に持って突き刺している。常勝の監督が重んじているのは闘争心である。「スコアは100対ゼロを理想とする。ただ勝てば良いのではない。立ち上がれないほどたたきのめさなければいけない。」という。
 後のことだが、監督も年老いて、糖尿になり、グラウンドに出ても昔の精気が無くなった。日大も常勝ではなくなり、関西学院の時代になった。そして、監督も亡くなり、日大は相変わらず赤の軍団だが、東の王者にも時たまにしかなれなくなった。専門的なことを言うと、今では本場のアメリカでも多くのチームで使われているショットガンというパスホーメーションは篠竹監督の日大が作り上げたものである。ただのバンカラではない。監督の自伝、もちろん自分で書いたものではなくて誰かに書かせたものだが何冊もある。しかし書かせたと言って、文章が書けないわけではなくて、彼は詩人でもあった。演歌歌手のだれかに歌わせたという。そういう詩人だ。

 さて話が脱線した。いよいよ夏の合宿、が終わると、千葉県の岩井に家を借りて海水浴をする。選手、OB関係者がそろって遊びの海水浴である。
 監督は水中銃を持って魚突きをする。そのためのアクアラングである。一緒についていって、魚突きも教える。その頃の岩井は良いところで、海に向かって右手の岩礁地帯に行くと、海に入ってすぐのところでも魚が突けた。
 昼の部のアクアラングが終わると、麻雀が始まる。これもつきあう。ほとんど徹夜、朝になるとこれから投網を打ちに行くという。監督は投網も練習中なのだ。投網が終了し、朝の食事を食べると、そのままアクアラングになだれ込む。こちらは師匠だし、僕もまだ若い。ギブアップするわけには行かない。監督が倒れるか僕が倒れるかの勝負だ。
 そんな合宿での昼食だ。二年生だか三年生の部員が、ただひたすら大根おろしを摺る。そんなにたくさんおろしてどうするの、というくらい摺る。食堂に大きい鍋をいくつか置き、夏だから高いだろうに、白菜が山に切られていて、豚肉が山になっていて沸いた鍋の中にぶち込む。安い豚肉だから、しゃぶしゃぶにはならない。ある程度煮る。どんぶりに大根おろしを山と入れて、七味唐辛子を好きなだけ入れて醤油をかけ、白菜と豚肉をどっぷり漬けて食べる。食べたことが無かったしおいしかったから、監督に聞いた「何という鍋ですか?」たぶん名前など無かったのだろう。少し考えて「フットボール鍋」と答えた。これが、僕の鍋のルーツである。

0316 人が動く月

  
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 大横川の桜の蕾が膨らんだ。3月は人が動く、教授は退官される人が何人か、移動も栄転もある。
 風呂田先生の退官記念はこのまえやった。
お酒を飲めれば幸せな人だから、何回でも退官したいだろう。
 社会スポーツセンターの遠矢君が、4月から、名桜大学(名護市)准教授になる。祝辞を述べることになっている。
 遠矢君と入れ替わりに、おなじ吉田章先生門下の高野君が就任する。
 祝辞で何を話そう。

 僕自身が社会スポーツセンターの常務理事の時代に前任の今木君と交代し、遠矢君が来て、やがて僕が常務理事を退任して、僕の後任には筑波大学教授で、遠矢君、高野君の恩師である吉田章先生が着任しました。遠矢君は、僕が1968年から、全日本潜水連盟で26回続け、社会スポーツセンターに受け継いでもらって、19回になる水中スポーツ室内選手権大会を直接に担当してもらい、僕は何もしないで挨拶だけをさせていただくという良い身分になりました。現在のこの大会は、現場的には遠矢君が育て、築いてきたもので、彼の成長の軌跡でもあったと思います。その途中で、そのころ内にこもって、自分たちだけで自己完結し、社会的には評価されていない競技会をやっているだけの関東学生潜水連盟のめんどうを見ようと、遠いOBである僕が思い立ち、その具体的な策の一つとして室内選手権大会の運営をてつだってもらおうと考えました。すべて、このような大会は学生が仕切ってやるのが理想です。遠矢君はおぼえているかどうかわからないけれど、僕は彼に言いました。学生を大事にしてください。君の言うことを、本当の兄貴分のように学生潜水連盟が学生たちが聞いてくれるようになれば、一生の宝になるはず。そして彼は、やり遂げました。この経験も彼の今後の学生たちとの接触に大きな財産になると思います。現在のこの大会は関東学生潜水連盟がなければできません。彼らもそれによって、社会的な体験と勉強をしています。
 他の分野での活動は、僕が直接にはタッチしていないので論究できませんが、彼の力が大きいことと思います。
 遠矢君の人柄は、当初、まじめすぎてお尻を蹴飛ばしたかったのですが、そのまじめさを失うことなく、効率よく仕事を回転させる術を覚えて行きました。彼の良いところは、さわやかなルックスとともに、説明がとても明瞭でわかりやすいことです。耳の遠い僕にもはっきりと伝わります。僕が意味がはっきりとれるのは、ニュースのアナウンサーぐらいですが、ほぼそれと同等です。これらのことは、多分教壇に立つことだろう彼の今後に大きな武器になるはずです。
 ここまでは助走距離で、ここからジャンプする年齢です。どうか高く遠く飛ばれることを願います。

 こんな原稿を書いて居たが、吉田先生から出席者の名簿が送られてきて、焦った。関東学生潜水連盟からだれもでていない。聞けば、業界の集まりにだけ通知を出していて、学生連盟には出していない。18日の祝賀会だが、15日と迫っている、締め切りは11日だった。手元に副委員長の筑紫君のアドレスがあった。5000円と費用は高いけれど、だれか代表できてくれるとうれしいとメールした。それからの対応がきちんとしていて素早かった、今日、16日に、筑紫君は行きたいけど別の予定があってゆかれない。代表して委員長の高澤裕太(明治大学)君が来てくれると返事があった。本当に良かった。わかってくれていたのだ。それに、この競技会の運営に携わって、組織として社会的に成長している。後任の高野君も素晴らしい人なので、引継ぎができれば、さらに共に成長してゆくことができるはず。 

0317 白井祥平兄訪問

千葉県、大網白里の白井祥平さんを訪ねた。この前ここに来たのは2006年、天文学博士の小久保君と来た。そのときはまだ白井さんが南太平洋で集めたコレクション、世界の貝のコレクションが陳列されていて、小久保君は感動していた。その前に来た時は2003年で僕一人で来た。陳列コレクションには、首狩り族の戦で殺された干し首がおかれていて、故郷の島に戻りたいと訴えてその辺にいるらしい。「背筋が寒くならないかね。」そういわれれば気のせいで首筋が寒い。2006年には小久保君にこのオカルト現象を確かめさせたかったが陳列されていなくて、故郷の島に帰したか、どこかのコレクターに売ったかしたのだろう。これはナンマタールの話ではなくてニューギニアの話だ。
 白井さんを訪ねると、いつでも助手の人が記念写真を撮る。写真には日付が入っているので、何時きたのかがわかる。
 僕が来るというので、昨夜、これまでの写真を全部見て、集めてCDにしておいてくれた。それを見ながら話をしたのだが、1956年の分は、僕がすでに、当時にアルバムにしていて、その写真を使って月刊ダイバーに書いた。その月刊ダイバーを見せ、コピーをあげた。
 
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        1956年
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        2013年 今

 僕と白井さんのスタンスは、僕が初めてアクアラングを背負わせてもらった1956年の時も、その後も、そして今日も全く変わらない。親切で優しくて、話していると本当の兄のようだ。僕は兄弟がいないから、理想の兄を思い描いているのだが、その兄だ。白井さんのところは、昔も今も、必要なだけのお金はどこからか沸いてでてきているらしい。僕のところはいつでも使うだけでてゆく。そんな話。そして ナンマタールの話もした。僕が行った時、様子を聞こうと電話したのに、いつもすべてを教えてくれる、白井さんが、なにも教えてくれなかった。そのことを言うと、意外そうな顔をした。僕にすべての資料を渡したと思っている。次に真顔になって、ちょうど、呪いのたたり最中でいくつものトラブルがあったときだったのだろうという。
 そうかもしれない。
 白井さんとは、ニューギニアの湖にすむ、「ルイ」という怪獣を探検に行く計画を本気で打ち合わせたことがある。ネス湖の怪獣はイギリス人のことだからジョークだと考えられる。ニューギニア人はまじめだからジョークは言わない。そんなことで装備の相談までしたのだが、実らず。後にこの「ルイ」はTBSかどこかで放映されてしまった。もちろん「ルイ」はでてこない。 白井祥平探検全集には「ルイ」の話もでてくる。この全集は、全10巻で、第一巻のナンマタール編がでただけで、スポンサーグループが全員死んでしまったという。だから、ニューギニア編はないが、別に「秘境ニューギニアの旅:三修社1977」を出している。僕と白井さんが死なないのは、不思議だ。
 楽しい時間を過ごした。もう一度次にくるときは、僕は80歳で80mの潜水をやり、その潜水も含めた、僕の全潜水、白井さんにアクアラングを習った(背負わせてくれただけだが)時から80歳までの技術論も含めたノンフィクションを出版してもってくる。たった2年だけれど、二人とも元気でいられるだろうか。

0320 AUVの浦教授退官講演

 東大の浦 環教授の退官記念講演があり、探検部のOBで、浦先生の弟子である岩上君からお誘いの通知をもらった。教授のご専門は、AUV 自律型海洋探査ロボットで、海洋探査の最先端である。興味深いので行くことにした。場所は、駒場東大前の東大生産技術研究所である。自分たちJAUSで、シンポジウムをやり、幾つかの研究集会をやるようになって、このような講演会、にはなるべく見て、聴くようにしている。浦教授は、この秋に柏の海洋研に聴きに行った定期的な研究集会の主催もされていて、研究会展開のプロ中のプロである。僕は、この展開をこの歳になって学んでいる。
 退官教授の講演会は浦先生一人ではなく、5人ぐらいが合同だ。
 もっとこじんまりとした会かと思ったが、大きな講堂が満員で立ち見がでている。
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 いわゆる海洋ロボット、無人探査機は、ケーブルでつながっていて、船の上から遠隔操縦するROVは、すでに完成された技術であり、小はビデオレイ、大は「かいこう」まで数かぎりない。水深60m以上の調査作業はほとんどROVがやるようになっている。数日前の漁場施設研究会でもROVの撮影が発表に使用される映像の主流になっている。
 ROVは、水深150mぐらいまでならば、使いやすいし、頼りになるが、1000メートルとか、深くなると1000mのケーブルが必要になる。これを積み、海に下ろしてケーブルを巻き上げるウインチなどを船に据え付けると、100トン以上の船が必要になる。線のないAUVならば1000m以上の深さでも小さい船で使える。それに、ケーブルによる遠隔操縦は、厳密な意味で、いや、厳密でなくてもロボットとは呼べない。別にロボットと呼ばなければよいだけなのだし、7000mまで探査するJAMSTECの「かいこう7000」をはじめとして、最近の探査機は、小型潜水艇であり、ロボットと呼ぶことに無理がある。
最新ダイビング用語事典のくくりでは、ビークルと呼んでいる。ビークルは、動くものの総称ともいえる。そして、浦先生が、力をいれて話していたのは、複数のロボットを同時に運用することであった。3台を同時につかっていた映像が見せられた。素早く水の中に入れ、すばやく回収できることが問題点といっていた。確かにその通りで、これは実際にオペレーションをやった人でないとわからない。後でこの問題についてはさらに触れる。
 AUVに似ているが、推進用の電源などは内蔵していて、細いグラスファイバーで信号を送受する UROV(細径ケーブル無人探査機)もあり、JAMSTECの「うらしま」は、これで「うらしま」も無人潜水艇であるが、これも浦教授の息がかかっている。
 UROVは、数千メートルの遠隔操縦ができるのだが、それでも移動範囲には限外があり、複数、を同時展開できるのは、やはり、AUVロボットである。10台も同時運用できれば、絶対的なアドバンテージになる。今、自分が目指しているインターバルオンボードカメラの複数使用も、規模は小さく原始的であるが、ロボットである。手が使えず、採集ができなければロボットとは言えない、ただのカメラであるが、この考え方のながれである。
 浦教授は、とにかくこのAUVの日本での一番の権威者であり、東大を退官してからの行き先もJAMSTECの特別主任研究員をはじめとして、九州の大学、もう一つどこかがあって、すべて彼がヘッドのポジションだ。
 せめて、挨拶ぐらいして帰ろうと、酒飲み大会の席に岩上君に案内してもらって行ったが、挨拶の行列が長い。この後、遠矢君の送別会があった。目下のところ直接の関係はないし、何かのおりに紹介されるようなことがあれば、退官講演におじゃましたが、行列が長くてあきらめたといえば形がつくだろう。岩上さんには名刺だけ託した。
 いずれにせよ、JAMSTECをはじめとして、海の科学の世界の檜舞台から人間が海に潜るダイビングは退場させられてしまった。アメリカのウズホール海洋研究所は、AUVのメッカでもあれば、人間が潜水して研究するサイエンスダイビングのメッカでもある。水深40mまでの浅い海での詳しい調査も研究者の潜水が必須であるし、海についての基本的教養、リテラシーのためにも、人間が自ら潜る潜水のトレーニングが必須である。浦教授の最終講義のPPも最初のカットは、自分がスキンダイビングで潜って、顔を水面に出す動画だった。JAUSは、その間を埋めるべく発足したのだが、壁は高く、自分の時間は切迫していて、力もなく、自分的には絶望している。一生を懸けるべきだった仕事だが、JAUSが発足してたった3年である。せめて、種だけを蒔いてからこの世から去りたいが、

0322 桜が咲く

 社会スポーツセンターの理事会、評議員会議は、セントラルスポーツの本社、茅場町ビルで行われる。少し考えてから、ネクタイを締め、ブレザーを着て行く。いつもの形だとプレッシャーに負ける。
永代橋をわたって歩いて行く。永代橋のたもとで、桃色の桜が花を開いている。桜が咲いた、と喜ぶ気持ちはない。少なくとも5年前ぐらいまでは、春が待ち遠しく、これで冬が越せたと嬉しかった。ダイビングの季節、夏が近くなる。今年は桜が咲いても心が弾まない。
 桃色の桜を見上げると、真っ青な空に雲一つない。今日のコンデジはカシオ、位置情報がついている。桃色の桜の種類は知らない。東京で普通に多いソメイヨシノに比べてずいぶん早く花が開く。
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 永代橋をわたりながら、佃島の方を見た。摩天楼だ。そして島の両側に隅田川が分かれて、島だということがはっきりわかる。川岸の桜はまだつぼみなのだろうが、白くかすんだように見える。

 会議が始まる。補聴器を耳にするが、電池が少なくなっているようで、ボリュームがあがらない。スペアの電池はコートのポケットだ。会議が始まるのに、立ち上がって電池を取りに行くのは失礼だ。少しは聞こえるので、配られた資料を見て、だいたい理解する。いずれにせよ、セレモニーだ。区切りごとに拍手して承認する。
 
 会議が終了して、隣が真野先生だったので挨拶をして、潜水士の規則改正について話す。現在潜水士を受験する人の大半がレクリエーショナル・ダイビングのインストラクターやガイドダイバー、そして学生であるのに、その声が全然反映されないのは困ると話す。この規則そのものは、アメリカでもヨーロッパでも存在がうらやましがられている。であるならば、名実ともに世界に誇れるものにしなければいけない。厚労省のお役人は、現在、100人の受講者で、作業ダイバーは5人もいないという現実をしらない。声を上げなければお役人にはわからない。声を上げることにしたと先生に伝えた。先生と僕が生きているうちに、規則とテキストの内容が、学ぶに値するものにしましょうと話した。今年はまだできない。来年2014年はそのことに全力投球をはじめよう。その助走として、工藤君と二人で潜水士の受験本を書いている。受験の参考書だが、同時にこれから潜水をはじめようとする人への基本知識のテキストになることを目指そう。本物の潜水士テキストがそうであるべきなのだが、残念ながらだいぶちがう。文句を言っていても仕方がないのだから、自分たちでめざそう。今手をつけている物理学の部分、潜水士の受験でもないと、何の必要もないことなのかもしれないから。例えば、パスカルの定理を知らなくても潜ることはできる。試験、それも国家試験だから勉強してもらうチャンスなのだ。

0323 パスカルの法則

お願い。
 前にもフェイスブック、そしてこのブログでも書いてお願いしたのですが、長野県でのダイビング応用の小学生の水泳練習やっておられるとのこと、今年の夏は絶対に見学に行きたいと思っていて、その企画書を持って居てなくしてしまいました。同時に、住所とお名前の書かれている封筒をなくしてしまって、まだ見つかりません。再度連絡いただけるようお願いいたします。

北海道、札幌、ポセイドンの工藤和由君と、潜水士の受験テキストを書いている。
 受験参考書であるから、国家試験の問題、その解答が重要で、売り物でもあるが、よりわかりやすく、そして、せっかくの受験だから、この機会に、潜水についての基本的な知識をしっかりと覚えてもらえるようなテキストにもしたいと思っている。
 実は、受験の頭に出てくる物理学などは、実際の潜水では直接にはかかわりなく、受験にだけ必要な知識なのかもしれない。しかし、知っておかなくてはいけないことであることはまちがいない。
 これからしばらく、潜水士の問題とか回答についてこのブログでも書いてゆく。
出版する本の下書き部分の転用でもある。

 ブログのコメントに、「パスカルの定理ではなくて、パスカルの原則です」と、指摘された。どこかでパスカルの定理と書いたらしい。もしかして、最新ダイビング用語事典ではないかと、焦って見直した。パスカルの法則としている。これは潜水士テキストの表現にならったものだ。定理、公式というと数学になってしまう。僕たちに身近な定理としては、ピタゴラスの定理ぐらいだが、定まったことという意味で使いがちだし、僕も使ったかもしれない。
 ウィキでは、パスカルの原理である。
 コメントをしてくれた方、ありがとうごございました。これで今後不用意に定理と言わなくなるでしょう。
 さてそのパスカルの法則だが、最新ダイビング用語事典(日本水中科学協会編)では、
パスカルの法則 流体内の圧力の伝達
「気体は圧縮されるが液体は圧縮されない。圧縮されないから容積は変えずに、加えられた圧力と同じ圧力になる。密閉した容器内の静止流体の任意の一点に圧力を加えると、容器内の液体のすべての部分が、加えられた圧力と等しくなる。つまり、容器内の液体すべてにその圧力が伝達される。」
ちょっと固い。今度の潜水士参考書の囲み記事で、
「地球上にあるものは、形のあるもの(固体)と形のないもの(流体)に分けられます。さらに流体は液体と気体に分けられます。形のあるものは形が壊れますが、形のない流体は壊れません。流体は形がありませんから、容器に入れなければ手にすることも扱うこともできません。水はバケツに入れて運びますし、空気は高圧容器、ボンベに入れて運びます。気体は圧力をかけると小さくなります。小さな容器の中に圧縮して大量の空気を詰め込むことができます。圧力を取り去ると元の大きさに膨張します。一方、液体は圧縮することができません。圧しても元の大きさのままです。圧縮されないので、圧している力と同じ圧力になります。これがパスカルの法則です。水面近くの水は、どこをとっても、大気圧と同じですし、水深10mの水は、どこでも、すべて2気圧(水の重さ+大気の重さ)になっています。水深計がどちらを向けても同じ水深を示すのはこのためです。
 ビニール袋の中に水を入れて、100mに沈めます。袋の大きさは変わらないで、袋の中の水は、11気圧になっています。人間の体を液体の入った袋だと考えると、100m潜ったダイバーの体の中の液体、つまり人間そのものが11気圧になっています。」
 
 「圧力が伝達される」という表現と、「同じ圧力」になってしまうという表現のちがい、圧力は伝達されるものだから、これで良いのだろうが、こういう表現をしている資料はないので、これでよいのか、ちょっと心配になった。ダイバーは水中にいるから、すなわち圧力の中にいて、耳などに圧力を生で感じているから、伝達されるという表現よりも、同じ圧力になったという表現の方が親しみやすい。
 これとは別に、重いものを持ち上げる油圧ジャッキなどで、油圧ポンプを動かしていると、液体も圧縮されているように感じてしまう。
 ところでウィキを見たら、「パスカルの原理(英語:Pascal's principle)は、ブレーズ・パスカルによる「密閉容器中の流体は、その容器の形に関係なく、ある一点に受けた単位面積当りの圧力[1]をそのままの強さで、流体の他のすべての部分に伝える。」[出典 1]という流体静力学における基本原理である。」

0327 正論

 今、一番関心の高いこと。これは全国民ほぼ同じだろう。放射能汚染、中国との争い、日本経済はどうなるのか、単純にデフレ政策で蘇るのか。僕にとっては、スポーツと体罰 

雑誌、「正論」産経新聞社 を少し前にかった。中国との争い、スポーツと体罰について書いている。タイトルを見ただけで、僕とは対極にあることがわかる。だからこそ買った。☆総力特集「日中開戦に備えよ」勝算我にあり:石原慎太郎、田母神俊雄 織田邦男 ☆「子供は体罰を受ける権利がある」戸塚宏
 雑誌として、売れそうなテーマであり商売として賢い。しかし、産経新聞、フジサンケイグループが本気にこんなことをかんがえているのだろうか。読んでみた。戦争について、僕が知りたかったことは、日本の沿岸各地に並んでいる原発のことだ。
 昨日だったか、沼津から大瀬崎に向かう道路の脇の海で小型の潜水艦が浮上するのを見た。沼津の港に入港するのだろうか、舳先が水を突き破るようにでてきて、やがて水平に浮き、中から乗組員が次々にでてきた。どこの潜水艦だろうと思った。小さい、50トンぐらいの潜水艦だった。明け方の夢で見た潜水艦だ。
 あの潜水艦がミサイルを撃ちそれが原発にあたれば、それを防御する術があるのか、それでも大丈夫なように原発は作られているのだろうか。そのことについて、なにも書いていなかった。書いていないと言うことは想定外なのだろう。想定外のことを心配しては、戦争はできない。
 戦争についての正論の記事は、ポーカーゲームのような考えで、こちらはスリーカードを持っている。中国はツーペアーで、こちらがスリーカードと知っているから、オープンしないだろう。向こうがスリーカードになると危ないから、それまでにストレートを作っておこうということだった。ストレートを作るためにはお金が掛かるが、それは、軍需産業として、中小企業にも仕事が回ってくるから景気がよくなるという。
 アジアの国々と日本とのかかわりも問題である。50年後には、日本はアジア諸国と経済的に肩を並べる、あるいは下につく。歴史について考えれば、日本は朝鮮半島、中国の一部を満州国として植民地化した。アジアの国々の国土の上で戦い、あるところでは残虐と言われる殺人をやった。人数の大小ではない、その国の歴史として教えられるようなことをやった。その国の国土の上で戦った。日本の国土の上での戦い、本土決戦は無かった。沖縄については、戦争中の軍隊が本土と同じ意識をもっていたかどうか疑わしい。歴史的必然といえばいえるだろうが、それは日本の歴史であり、植民地化された国の歴史では必然ではありえない。もしも、日本が人間が棲めない国になったならば、その可能性はあるのだが、日本民族は、アジアに拡散して行かなくてはならない。少なくとも戦争している場合ではない。国を守ることは否定しない。国防軍は必要であり、精鋭であってほしい。こちらからは攻撃せず、攻撃されて死んでゆく覚悟ができた精鋭であってほしい。それで、日本が世界の国から称賛されるならば、日本は勝ちだ。
 戸塚さんについて、昔の彼の書いたこと、人間、12歳までに死ぬ思いのシュミレーションが必要という意見には賛成だった。彼は正しかったがアシスタントが暴走したのだと僕は思っていた。しかし、これを読むと、やはり、彼も暴走していたのだとわかった。年をとり、穏やかな顔になるかとおもったが、前よりも人相が悪くなっていた。
 野口健という人も体罰賛成の論陣を張っている。この人、子供たちのキャンプをやっていて、スノーケリングだがスキンダイビングもやっていたと思う。
 しごき、体罰について、このごろ考え続けている。日体協から、指導員のための機関紙、スポーツジャパンが送られてきて、当然だけど、体罰禁止のキャンペーンのようだ。

 

0328 体罰

昨晩、http://jsuga.exblog.jp/ に体罰のことを書いたが、「正論」の「それでも体罰は必要だ;野々村直道、野口健」荒れた教室に立てば、体罰が必要なわけがわかる。以前に、水産高校の先生に潜水を教えていた時、「新聞沙汰になる覚悟がなければ、水産高校の教師にはなれない」という話を聞きました。水産高校へ赴任する後輩が、その学校の校長から、武道は何をやっていると聞かれ、潜水です。考えてみれば潜水は簡単に受講者、生徒を死ぬような目に会わせることができる。しかし、これとスポーツコーチの体罰とは別の話のように思う。
日体協は暴力行為根絶宣言をだした。
「柔道女子の日本代表合宿で監督などによる暴力行為があった問題を受けて、日本体育協会はJOC=日本オリンピック委員会などと連携して、スポーツ界での暴力行為の根絶宣言を出すことを決めました。
これは日本体育協会が13日に開いた理事会で決めました。
日本体育協会は、JOCや高体連=全国高校体育連盟などと連携して、スポーツ界における暴力行為の根絶宣言を作り、加盟団体などを通じて普及や啓発活動に取り組むということです。また、日本体育協会の中に暴力行為などについての相談窓口を近く設置することを決めました。
相談窓口では、身体的、精神的な暴力行為、セクシュアルハラスメント、法令違反行為などについて対応し、電話、電子メール、ファックス文書、面会のいずれの方法でも受け付けるということです。」
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 日体協のsports Japan に駅伝の中村清監督のことが出ていた。このところ愛読している黒木亮の「冬の喝采」早稲田の駅伝選手だった作者のドキュメンタリーで彼の代表作でもある。その黒木亮がここでも書いている。中村清監督の写真、黒木さんらしい写真もでていたが、中村監督は選手に体罰を与えることなく、自分で自分を殴る、自分に体罰を与える。

体罰の理由は、何とかよくしてやりたいという愛情の表れだともいう。つまり、感情なので、冷静ではない。愛と同じだとすると不合理で、死 まで振れてしまう。コーチングは科学のはず。愛という体罰もあるとは思うが、それは別の世界のことだろう。
ダイビングのインストラクション、ガイドのことも考えたが、これはまた複雑。講習の段階ならば、いいプログラムがあればよいのだが、現場のダイビング、ガイドとなると別のファクターがあり、まだこれは科学になっていないように思う。「空白の5マイル」を書いた角幡君が、漂流のことを書きたいと、言うので、資料を探し出して送った。その時にその資料を読んで気がついたこと、漂流の時、ほとんどのガイドは、助かって漂流していない。この視点から見る必要もあるなと思っている。
              

0329 さくら

 大横川の桜が満開、日曜日まで満開でいるだろう。深川さくらまつりの旗が立ち お花見の和船もスタンバイしている。
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 大横川の清澄通りに面した橋のほとりに小さい碑があり、しだれ桜がとなりにあり、桜に囲まれている。3月9日の下町大空襲の朝、この川の川面は、熱さに耐えられずに、たぶん着衣が燃えて、川に飛び込んで亡くなった人で埋まった。この場所から遺体を引き揚げて、トラックに積み、錦糸町公園とか、楽天地とか空き地に埋めたと聞く。花と碑をみていると、そして写真で見ても、涙がでてきそうになる。
 第二次大戦から始まった戦略爆撃で、なるべく多くの敵の民間人を殺して、世論を戦争終結に導こうとするものだった。米国の日本への戦略爆撃は、木造家屋を焼き払うために開発された、M69 という焼夷弾をつかった。3月9日の空襲は、下町一帯を焼き払うための計画で、戦闘機と戦うための機銃も取り外し、できるだけ多くの焼夷弾を積んで、低空から投下した。米空軍にとっても決死の攻撃だったのだ。※空の帝国 アメリカの20世紀より
 焼夷弾は周辺からに囲むように投下され、逃げ場を塞いで、大量に焼き殺そうと計画された。非戦闘員を残酷なともいえない。その頃、日本は主婦、子供まで米軍を刺し殺そうと訓練を重ねていた。無意味なことで。戦略爆撃のりゆうになってしまう。
そしてこれから始まるかもしれない今の戦も、総力戦、国民をたくさん殺した側が勝利をおさめるのだろう。
 国防軍をもたなければ、攻め込まれてしまう。であれば、攻め込まれない軍隊を持つことも必要かもしれない。核を持たなければ、滅ぼされてしまうというのならば、核を持つことだって考えられる。滅ぼされるということは、日本国民の多数が川に浮くことだ。全国に原発が散在してうだろうから、中国もアジア一帯が人がすめなくなる地域になる可能性がある
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 そんな人の世、をよそに、さくらは咲き誇る。車で走ると、どこもかしこも桜だ。平和であるということなにものにも代えがたい。
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