若い頃からおなじことをくりかえしているのだから、「バカは死ななきゃ治らない」と割り切れば良いのだが、それができるほど大人じゃない。80にもなって、やはり死ななきゃだめかな。と思う。
失敗には、慣れているはずなのに、バランス感覚をくずしてしまう。そして思い切りが悪くなる。所詮、世の中90%のことは思い通りにならない。10%を拡大解釈して生きる途を探すのだ、とも割り切っているはずなのに迷ってしまう。いいさ、もっと迷っていよう。ということにとりあえずする。迷っている時に決断するとろくなことはない。となると、いつも迷っているのだから困ってしまうが。重大なことは、しばらく迷っていよう。
そんな時に読むのは、冒険小説、あるいは冒険ノンフィクション、小説はほとんどすべてが冒険小説なのだとも思っているので、その中で大上段に振りかぶった、取り分けの冒険小説には、感動するような冒険小説にはこのところお目にかかっていない。
そこで、冒険ノンフィクション「アグルーカの行方:角幡唯介:集英社文庫」
角幡君は、僕のダイビングの弟子で、弟子はみんな君づけで呼ぶのだが。彼が朝日新聞の記者時代に荒川の環境問題的探検で、ダイビングをやるので、お台場でダイビングを教え、一緒に荒川で潜った。ダイビングの冒険をそのうち一緒にやろうなどと言って別れたが、僕のほうが彼の冒険に付き合える体力がなくなってしまったから、このままで終わってしまうだろう。
彼は、本格的冒険家だ。彼に言わせれば、僕がダイビングは冒険だ、などというと、「冒険ごっこだな」とか「冒険の意味がちがう」と言われるだろう。僕たちの冒険は、危険のあるところに、危険を避けるべく準備をして、安全に戻ってくることを目標にする冒険である。彼の冒険は、危険のあるところに、あえて生死すれすれのところに突っ込んでゆく。一緒に本を書いた岡本美鈴も、生死すれすれを狙うが、無理だと思うとアーリーターンをして生命を護る。スポーツなのだ。角幡等の冒険家はアーリーターンはあり得ない。そして、危険を察知すると避けるのではなくて、より危険な方に、もちろん限度すれすれだが突っ込んでゆく。
何が悲しくてそんなことをするのだろう。と思う。
理由はいろいろで、各冒険家によって様々だろうが、各旗君の場合は冒険ノンフィクションを書くためだ。なぜ、冒険ノンフィクションを書くのかといえば、僕のように迷った時、辛い時にそれを読んで勇気づけられ、辛さに立ち向かえるように自分の心をリセットするためだ。これは、ものすごく意味のあることなのだ。それが、絵空事でなく、つくりごとでないノンフィクションであるから、本物的に勇気づけられるのだ。
一緒に人工魚礁探検、これも探検ごっこだけれど、ある意味命がけなのだが、それを一緒にやっている小俣さんが人喰いバクテリア・なんと冒険的な病気だろう、にやられた。今は人喰い虎などは保護される希少ネコ科の動物だが、人喰いバクテリアだ。ジャングルではなく、病院で命がけの闘いをやった。ようやく危機を脱したと思われるが、そんな彼を勇気づけるため、角幡唯介の出世作ともいうべき「空白の五マイル」を持っていった。
これは角幡が、チベットのツアンボー峡谷という誰も入って抜けたことのない峡谷に挑んだ話だ。現在は人跡未踏のところは、チベットの奥まで行かないと無いのだ。これは、彼が、名高い早稲田大学探検部時代から目指していたもので、朝日新聞の記者を辞めて、踏み込んで行ったものだ。何故そんなことを?これはすでに書いた。
目的通りに九死に一生の思いをして、開高健ノンフィクション賞をもらって、ノンフィクション作家としてプロの作家になった。
ふと思う。ダイバーは、気軽く大瀬崎あたりにいって、80mも空気で潜れば、瞬間的に九死に一生の思いができる。チベットの奥に行くより楽だ。70歳のころリブリーザーでそんなことをやり、60mまで行ったが、これは死ぬ、とおもって、売り払ってしまった。今は、売ってしまったことを後悔している。80歳の80mを軽く出来たのにと。
ようやくアグルーカに戻ってきた。これは北極で北極をヨーロッパからアジアに通り抜ける北西航路の開発を目指して、1845年に行なったイギリスのフランクリン探検隊が129人全員が死亡した道筋を徒歩、橇を曳いて歩いて通りぬけ、フランクリン探検隊が感じた、見たであろう光景を自分の眼で見ようという冒険で、アグルーカとはその中でただ一人最後まで生き残ったといわれているアグルーカと呼ばれた者の謎を探ろうとしたものだ。次々と倒れる仲間の肉を食らってまで生き残ろうとした彼らの北極をほぼ同じレベルで体験し、彼らの目で見たものを自分の眼で、同じような条件で見ようというノンフィクションだ。
この目標はほぼ叶えられていて、何故、こんな馬鹿なことをするのだろう?自分も馬鹿なことをしているので、勇気づけられる。でも角幡は、本当に文章が良くなった。冒険ノンフィクションを書く冒険家としては、一番だと僕は思う。
スキンダイビングの本など書く必要はないだろうに。ギャランティ的に報われることもなく、売れ上げノルマを引き受けて、自分の首を締め、時間を使う。なぜ?そんな冒険を!
それは、息こらえ潜水の安全性について、危険性について今この本を書くことで、無意味な事故を防ぐため?いや、この本を買ってくれるような人は、事故など起こさない?でも、角幡がノンフィクションを書く、的な意味は、狭いダイビング界の中ではあるだろう。
かなり、ノンフィクション的にスキンダイビングのことを書いた部分もあるので、死なない冒険を目指してくれる人もいるだろうし、今、無意識に、死ぬ冒険をしている人は、死なない方向に向きを替えてくれるかも知れない。
目下のところ、何を書いても、スキンダイビング・セーフティのことに収斂してしまう。
失敗には、慣れているはずなのに、バランス感覚をくずしてしまう。そして思い切りが悪くなる。所詮、世の中90%のことは思い通りにならない。10%を拡大解釈して生きる途を探すのだ、とも割り切っているはずなのに迷ってしまう。いいさ、もっと迷っていよう。ということにとりあえずする。迷っている時に決断するとろくなことはない。となると、いつも迷っているのだから困ってしまうが。重大なことは、しばらく迷っていよう。
そんな時に読むのは、冒険小説、あるいは冒険ノンフィクション、小説はほとんどすべてが冒険小説なのだとも思っているので、その中で大上段に振りかぶった、取り分けの冒険小説には、感動するような冒険小説にはこのところお目にかかっていない。
そこで、冒険ノンフィクション「アグルーカの行方:角幡唯介:集英社文庫」
角幡君は、僕のダイビングの弟子で、弟子はみんな君づけで呼ぶのだが。彼が朝日新聞の記者時代に荒川の環境問題的探検で、ダイビングをやるので、お台場でダイビングを教え、一緒に荒川で潜った。ダイビングの冒険をそのうち一緒にやろうなどと言って別れたが、僕のほうが彼の冒険に付き合える体力がなくなってしまったから、このままで終わってしまうだろう。
彼は、本格的冒険家だ。彼に言わせれば、僕がダイビングは冒険だ、などというと、「冒険ごっこだな」とか「冒険の意味がちがう」と言われるだろう。僕たちの冒険は、危険のあるところに、危険を避けるべく準備をして、安全に戻ってくることを目標にする冒険である。彼の冒険は、危険のあるところに、あえて生死すれすれのところに突っ込んでゆく。一緒に本を書いた岡本美鈴も、生死すれすれを狙うが、無理だと思うとアーリーターンをして生命を護る。スポーツなのだ。角幡等の冒険家はアーリーターンはあり得ない。そして、危険を察知すると避けるのではなくて、より危険な方に、もちろん限度すれすれだが突っ込んでゆく。
何が悲しくてそんなことをするのだろう。と思う。
理由はいろいろで、各冒険家によって様々だろうが、各旗君の場合は冒険ノンフィクションを書くためだ。なぜ、冒険ノンフィクションを書くのかといえば、僕のように迷った時、辛い時にそれを読んで勇気づけられ、辛さに立ち向かえるように自分の心をリセットするためだ。これは、ものすごく意味のあることなのだ。それが、絵空事でなく、つくりごとでないノンフィクションであるから、本物的に勇気づけられるのだ。
一緒に人工魚礁探検、これも探検ごっこだけれど、ある意味命がけなのだが、それを一緒にやっている小俣さんが人喰いバクテリア・なんと冒険的な病気だろう、にやられた。今は人喰い虎などは保護される希少ネコ科の動物だが、人喰いバクテリアだ。ジャングルではなく、病院で命がけの闘いをやった。ようやく危機を脱したと思われるが、そんな彼を勇気づけるため、角幡唯介の出世作ともいうべき「空白の五マイル」を持っていった。
これは角幡が、チベットのツアンボー峡谷という誰も入って抜けたことのない峡谷に挑んだ話だ。現在は人跡未踏のところは、チベットの奥まで行かないと無いのだ。これは、彼が、名高い早稲田大学探検部時代から目指していたもので、朝日新聞の記者を辞めて、踏み込んで行ったものだ。何故そんなことを?これはすでに書いた。
目的通りに九死に一生の思いをして、開高健ノンフィクション賞をもらって、ノンフィクション作家としてプロの作家になった。
ふと思う。ダイバーは、気軽く大瀬崎あたりにいって、80mも空気で潜れば、瞬間的に九死に一生の思いができる。チベットの奥に行くより楽だ。70歳のころリブリーザーでそんなことをやり、60mまで行ったが、これは死ぬ、とおもって、売り払ってしまった。今は、売ってしまったことを後悔している。80歳の80mを軽く出来たのにと。
ようやくアグルーカに戻ってきた。これは北極で北極をヨーロッパからアジアに通り抜ける北西航路の開発を目指して、1845年に行なったイギリスのフランクリン探検隊が129人全員が死亡した道筋を徒歩、橇を曳いて歩いて通りぬけ、フランクリン探検隊が感じた、見たであろう光景を自分の眼で見ようという冒険で、アグルーカとはその中でただ一人最後まで生き残ったといわれているアグルーカと呼ばれた者の謎を探ろうとしたものだ。次々と倒れる仲間の肉を食らってまで生き残ろうとした彼らの北極をほぼ同じレベルで体験し、彼らの目で見たものを自分の眼で、同じような条件で見ようというノンフィクションだ。
この目標はほぼ叶えられていて、何故、こんな馬鹿なことをするのだろう?自分も馬鹿なことをしているので、勇気づけられる。でも角幡は、本当に文章が良くなった。冒険ノンフィクションを書く冒険家としては、一番だと僕は思う。
スキンダイビングの本など書く必要はないだろうに。ギャランティ的に報われることもなく、売れ上げノルマを引き受けて、自分の首を締め、時間を使う。なぜ?そんな冒険を!
それは、息こらえ潜水の安全性について、危険性について今この本を書くことで、無意味な事故を防ぐため?いや、この本を買ってくれるような人は、事故など起こさない?でも、角幡がノンフィクションを書く、的な意味は、狭いダイビング界の中ではあるだろう。
かなり、ノンフィクション的にスキンダイビングのことを書いた部分もあるので、死なない冒険を目指してくれる人もいるだろうし、今、無意識に、死ぬ冒険をしている人は、死なない方向に向きを替えてくれるかも知れない。
目下のところ、何を書いても、スキンダイビング・セーフティのことに収斂してしまう。