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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0720 グラフィティ あらすじ

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 月刊ダイバーに連載していた「ニッポン潜水グラフィティ」単行本になった。連載では、月ごとに途切れているのだが、単行本になれば、一気に読める。一気に面白く読める長さに縮めた。月刊では、1980年以降、テレビ番組の撮影まで書いたのだが、単行本では1975年の沖縄海洋博までで、あとはまとめ的に1990年代まで走っている。その代りに月刊ではなかったその時々のダイビングについて、コラムとしてはさんだ。
 1980年以降も雑誌と同じように入れた方が良かったのでは、と思わないではないが、グラフィティにふさわしいのは、やはり、1975年までだろうし、1980年以降は、また別のストーリーだ。とおもう。
 そして、かなり詳しいスクーバダイビングの年表を終わりにいれた。年表は2012年の舘石昭氏の死で終わっている。
 
 物語は、まず、1953年のアクアラング伝来に始まる。1943年に生まれたアクアラングは、1950年には日本に入ってきたらしいのだが、正式には1953年だ。天皇陛下がご覧になっている。東京水産大学の小湊実験場がその舞台だが、その小湊実験場で、その次の年、1954年に、潜水実習中に二人の学生が命を落としてしまう。そんな中で、1955年から素潜りをはじめ、奄美大島探検、潜水実習、卒業論文で海士のような生活を送り、人工魚礁の調査で、水深30mでエア切れで、ほとんど死にかける。
 ここまでが第一部と言っていい。ここまでで、ダイビングの危険についてのほとんどすべてがわかる。すなわち、どうしてダイバーの死亡事故が起こるかがわかる。すなわち、直上に小舟がいなければ、スクーバは危ない。深く潜って空気の計算をしなければ、運がわるければ死ぬ。

 そして、水産大学を卒業した僕は、家の倒産で研究者への道を閉ざされ、南千住の東亜潜水機に就職する。お坊ちゃん育ちの僕にとっては、カルチャーショックの職場だが、楽しく、潜水の研究をして、レギュレーターを設計して作り、すべてのスクーバ機材を作って行く。これが第Ⅱ部だろうか。
 ダイバーという人種は深く潜りたい。とにかく、深く潜りたいのだ。窒素酔いというものがあるならば、体験しないではいられない。とにかく自分の使える機材、自分のフィジカル、メンタルな能力を総動員して、1mでも、1cmでも深く潜りたいのだ。
 深く潜るのが潜水の目的ではないなどと本気で思ったとすれば、それはダイバーではない。深く潜ることが本能でないならば、フリーダイビングなどという愚かな行動はすぐにやめるべきだし、テクニカルダイビングなども意味がない。
 僕は、自分の作った潜水機で100mを目指す。すでに300m潜ったハンネス・ケラーというダイバーが出てきているが、彼は彼、僕は僕の100mを目指す。潜水機メーカーの東亜潜水機の社員だから、新しい潜水機を作り、テストするという大義をでっち上げて100mを目指す。バディとしては舘石さんをおだてあげて、一緒に潜る。

 このグラフィティでは、僕以外に何人かのダイバーの物語が含まれているが、その一人が舘石昭で、ヒーローである。だから、このストーリーは、月刊ダイバーで、というよりも舘石さんが主宰するマリンダイビングであるべきだったかもしれない。しかし、チャンスを与えてくれたのが月刊ダイバーだから、かなり思い悩んだ。月刊ダイバーの坂部編集長にそれで良いかと聞いたが、あったことであり本当のことならば、次郎さんの思ったままに、ということで、遠慮なく書いた。
 偶然のできごとだが、僕が舘石さんのことを書き始めたころ、舘石さんは世を去ってしまう。読んでもらって、「須賀さん、あそこは違うよ」などと言ってもらいたかったが。
 この100m潜水が第Ⅲ部である。(本ではこのような分け方はしていないが)

 そして、1967年、後藤道夫、浅見国治と三人で、日本で日本人による指導団体である日本潜水会を作る。
 やがて日本潜水会は、関西潜水連盟、中部日本潜水連盟、PADI潜水指導協会などと合同団結して全日本潜水連盟を作る。そして、1975年、沖縄海洋博の記念行事として全国のダイバーを集めて、競技会、フェスティバルを開催する。これで全国統一が成ったわけで、一つの頂点にたどり着いた。ここまでがグラフィティであり、第四部
1980年以降、この態勢が崩壊して次のC カードと賠償責任保険の世界、つまり商品スポーツだと誰かが言うような世界になって行くのだが、その商品スポーツの世界では僕は深くかかわらず、経営しているリサーチダイビング、テレビ撮影の会社がダイビング生活の中心になるが、この部分はこの本では駆け足で通り過ぎて、最後にスガ・マリンメカニックでの死亡事故について述べる。この事故は僕のダイビングを一変させてしまう。
1980年以降は、今の潜水であり、グラフィティとは言い難いので、単行本では割愛している。続編が書ければ、その移り変わりの部分からのスタートになるが、いまはとにかく、ここまでだ。

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