何となく、達成感はある。
なお、申請先の役所はみんな親切に、できるだけ、僕らが調査できるように調整してくれた。
1月、2月、3月まで申請はしたが、1月以降は工事が入るのでNG。何の工事かというと、オリンピックのトライアスロンを見るための観覧席を今の砂浜の上につくるらしい。これで1月から、たぶん10月頃まで、都民のオアシスだったお台場の砂浜は、入れなくなる。どこかで、都民ファーストって聞いたけど、オリンピックファーストなのだ。その観覧席、で入場料、5000円を払って、トライアスロン選手がお台場の海泳ぐのを見るらしい。なんだかなー。
トライアスロンって、野山を走り、自然の中で泳ぐ競技だと思う。だから、プールで泳ぐのはなしなのだ。お台場で泳ぐのやめて、船の科学館の流れるプールを改造したら、といったら、プールはだめ、自然の海でなければいけないのだと教えられた。観覧席で、選手が遠くの水面をパチャパチャ泳ぐのを見るだけだ。まだ、ゴールは遠いから、途中経過である。もしかして、トライアスロンのゴールはお台場?ぐるっと回って帰ってくる?それにしても、スタートしてから、帰ってくるまで、マラソンも避けたという炎暑の中で、待っていなければならない。だから、ありえない。水泳がスタートだったはずだから、早朝のスタートもありえないだろう。それでも、オリンピックだから、満員だろう。まあ、テレビで楽しみに見ることにしよう。
僕は、日本で、第一回のトライアスロンが宮古島で行われたとき、撮影に入った。24ノースの渡真利君が、水泳のめんどうを見ていた。まだ、第一回だったから、自転車に乗れて、マラソンを走れればこの競技ができるとおもっている出場者がかなり居て、水泳で溺れるのだ。溺れても泳ぎ抜くのがトライアスロンだと思っているらしく、ゴムボートに引き上げようとしても拒否する。僕はその有様をテレビカメラで撮っていた。そのまま沈んで、引き上げてから、気道確保をしたりしていた。それも撮った。このまま死んでしまったらスクープだ。
それから、おむすび型の宮古島を走る。有力な招待選手などは、午前にスタートして、夕方ごろには、ゴールを設定した、小学校のグランドに帰ってくる。一番遅いのは、制限時間が、夜の10時だったか11時だったか、みんな最後の選手が入ってくるのを、運動場で待っている。グランドまではとぼとぼ歩いてきた選手が、グランドでは、手を振って、観客の拍手のなかを走る。テープを切ったあと倒れて見せたりして、そして、それでも、制限時間に入れなかった選手が気落ちして、帰ってくる。もう、ゴールのテープはないのだ。戻ってきたらテープが無いので、その場で座り込んだりして、牧歌的な競技だった
そして、東京オリンピック、マラソンは、炎暑をさけて札幌に逃げた。選手ファーストなのだ。トライアスロンは、炎暑の中を、おそらくマラソンより過酷な走りをして、お台場のヘドロの上を泳ぐ。トライアスロンの選手はマッチョなのだ。泣いてはいけない。水がくさいなんて言ってはいけない。マラソンは逃げても、トライアスロンは踏みとどまる。そういうのって僕は大好きだ。オリンピックなのだ、トライアスロンなのだ。炎暑に倒れても、這ってでもゴールに進め。昔のトライアスロンで、溺れても救助を拒んだ先人がいるのだ。
むかしむかし、ギリシャ時代、ペルシャとの戦争に勝ったスパルタは、伝令がマラトンの野を駆け抜けて、来た、見た、勝ったと知らせてばったり倒れて死んだのが、マラソン競技の先祖だとか、札幌に逃げるなんて、マラソンじゃない。